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2014年8月27日水曜日

新深澤本(本の感想

『日本の女は100年たっても面白い。』深澤真紀(2014)


今や日常会話に欠かせない語彙となった「草食男子」「肉食女子」の名付け親である深澤さんの著書だし、タイトルが女子カルチャー研究の新しい決定版ぽかったので手に取ったがイマイチな内容だった。

基本的なコンテンツとしては、明治から平成まで連なる個性的な女性たちの系譜を追っている。
そのうえでアキンド女(eg. くらたま)、サムライ女(eg. 香山リカ)というカテゴリを導入し整理を試みているのだが、わざわざ分類したわりに系譜のレベルまで落としこめていないし、個々人の周辺の社会文化環境に関する情報が薄いのでバイオグラフィーの単なる羅列にしか見えない。

ライトエッセイとして読めばまた違う感想になるかもしれないが、こういった題材を扱うならもう少し文化風俗論的に突っ込んだ考察がほしかったところ。

ただし、巻末についている用語集は皮肉が利いていておもしろい。

2014年8月6日水曜日

スパルタ婚活塾(読書

ついに出たワァ。。という感じ。笑

代沢恋愛総研ではこれまで明示的に取り上げてきていなかったが、現代の恋愛理論を語るうえで欠かせない水野敬也氏の著書を、もちろん私は渉猟してきている。

中でも、ウケる技術、美女と野獣の野獣になる方法 は、単なる(男向け)モテテク指南に留まらない、人とうまくコミュニケーションをとり、円滑な人間関係を築くために使える心がけが詰まった素晴らしい教科書だ。

ま、何より読み物としておもろいので未読の方は是非読んでいただきたい。



そんな水野敬也氏がついに女性向けモテテク教科書を上梓された。


うーむ・・・やはり笑える。おもろいなぁ水野さん

見出しや文章がおもろいのは当然として、ページの切れ目でオチをうまく引っ張ったりといったレイアウトの工夫も相変わらず素晴らしいクオリティ。

全編水野節炸裂で、ネタ的な部分もありつつ(いや、かなり比率としては高いか)、珍しく男目線から書かれた女性向け恋愛本ということで、婚活女子にとってはかなり実用的と言えるのではないか。

女性が意中の男に好かれるためのありとあらゆる小手先テクニックを構造化し、まとめあげた著者のインテリジェンスに乾杯だ。


「コミュニケーションはサービスである!」と徹底してとらえ、
    ↓
意中の人のニーズを踏まえたうえで、
    ↓
予定調和を崩していくことにより、
    ↓
相手に楽しんでもらう


以上のことを基本哲学としているのは男向けの水野流恋愛術と同じ。

ツッコミマスターとなれ!
という部分も、ウケる技術と共通している。
自分の役割を理解し、コールアンドレスポンスを意識していくことは会話術全般においてすごく大切だと思う。

また、

「執着分散理論」→「仮氏理論」
「逆に理論」→「ライフ・イズ・ビューティフル理論」

といった、美女と~ で語られていた男向けモテテクの変奏も散見される。


つまり出会いから交際、結婚に至るまでのプロセスに必要とされるコミュニケーションの基本は、男女でそんなに変わらんということだろう。

ただし、男女の決定的な違いとして、女は「待ち」が基本で、男性から声をかけられるのもデートに誘われるのも交際を申し込まれるのも、すべて受身で実施していかなければならないことの難しさは繰り返されている。
自分から行くと、価値を下げることになってしまうからだ。

この本でも一部で自分から能動的に行くストロングスタイルも紹介されているものの、全体的には声をかけられる確率、デートに誘われる確率、交際を申し込まれる確率、プロポーズされる確率をあげるテクニックの紹介が大半だ。

ところで、タイトルにも含まれている「婚活」というワードは、社会学者の山田昌弘氏がAERAで使ったのが最初らしいが(参考:「「婚活」の時代」(山田昌弘・白河桃子、2008))、その後各種マスコミのあおりを受けて、最近ではこのワードが用いられる際、男性を経済的指標に還元して商品化し、「肉食系」「狩猟系」の結婚活動を行う女性たちが常にクローズアップされるようになっているように思う。

マスコミにより変形させられた婚活イメージが人口に膾炙した結果、女性全般に対する恐怖を抱いて、女性に積極的にアプローチできなくなっている男性もいるのではないか。

本書でも、婚活ブームから派生した専業主婦礼賛イデオロギーや、男性総人口の数パーセントに過ぎない玉の輿に乗ることの理想化を否定していないし、むしろそちらを目指せ!貪欲に!妥協せずに!と書かれている。(笑)

しかし、基本的には女性側からハンティングすることに対しては否定的なトーンで、前のめらず、男が追いかけてくるのを待て、というのが大原則である。

これを敷衍すると、やはり女性はアプローチを待っている!ということで、男性にも勇気を与えてくれる本なのではないか。

いやぁ、女子は大変や。(ひとごと)

2014年6月14日土曜日

ミリオネーゼ向け?恋愛本(読書)

はあちゅうの恋愛本買ってきて読んだ。


連載コラムの集合体なので一気に読めたし、面白かった。
バンバン売れているようで、多くのアラサー女性にとって支持され、共感を呼ぶ内容ではあるのだろう。

私も読んでいて、そうだよなー、と思うところはたくさんあり。
特に、ある意味平凡ですが、本書全体を貫く20代後半の男女の恋愛と結婚に対する意識の違い、という部分には大いに共感した。

男はまだまだ口説きたい。ワクワクしたい。
女子だってきっと口説かれたいはず。と、ここまではsame pageだが、結婚・出産までの逆算はどこまでも堅牢かつ、堅実なワケで。


という感じで、登場するのは女子会トークでよくあるネタばかりなのだけれども、
誰しもが普段考えている平凡なことをクリアに文章化することができるっていうだけですごい才能だなと思います。


ただ、もちろんはあちゅうといえば帰国子女→慶応/カリスマブロガー→電通というこれ以上ないリア充キャリアで、今は売れっ子中の売れっ子ライターであり半分、というかほぼ芸能人なわけですね。
そして本書中に登場する、はあちゅうを取り巻く人たちも、男女問わずメディア、広告、商社、銀行あたりで働いてものすごく稼いでいて、自分に自信があり、結果としておモテになっている。

というわけで、vernacular具合にはいまひとつ問題があるというか、どこにでもいる女子目線で書かれているとはいえないと思うんですよね。
こうした極めて文化/社会/経済資本力の高い人々の恋愛語りを読んでも、やはり極めて限られた人口層の話をきいている感じがしてくるのは否めない。


基本的に女性向けに書かれているのは大前提として。
そして男も読んでおもしろいしためになるな、とは思うが、私のような凡庸な負け組一歩手前の男が読むと少なからず凹むと思う。

はあちゅうは本書中で自分も含めた周りの女性たちのことを直接/間接的に、金と色を兼ね備えた「バリキャリ女子」「Aランク女子」などとラベリングしているが、こうした女性たちは当然男に求めるものもはっきりしていて、ハイレベルなわけで。。。


自分たちが求めているレベルに達していない男を見下してる感じはするのね。
「日本社会にも間違いなく身分階級が存在する」と言い切っていますし。

われわれ競争社会に生きる人間は、何かとランク付けが好きです。

はあちゅうは特に毒舌系なコラムニストではないと思うけど、少なくとも人をランク付けることに躊躇いがないことが、人気の理由のひとつかなとは思いました。





いやもう、正直に申しますと、元カノ思い出してしまうんですよねww
アラサーバリキャリ女子の価値観はここまで似るのかと。
成功者としての自覚と、人を格付けする視座な。


1年前の自分なら、何も考えず楽しくヘラヘラ読めた気がします。
これはle sentimentなのだろうか。

2013年12月5日木曜日

万年筆目当てでOggi1月号買った&UNYPP雑感




おまけの万年筆に釣られてひっさびさに買ってしまった。



theoryとの企画モノのようだが、これはなかなか良い!
本体に◇パターンが浮き彫ってあって高級感あるし、デフォルトでついてきたカートリッジのインクが紺というのもよかった。















ちなみにこっちは9月に買ったmono magazineについてきたアニエスベーの雑貨ラインvoyageの万年筆なんだけど、カートリッジ交換してすぐはインクの出がとても悪いという問題があった。





所詮オマケはこのレベルか…とか思っていたが、oggi×theoryの白いコイツにはそういう問題もないし書き味も良い。
ただズッシリ系なので勉強には向かなそう。




ゼロ年代、インターネットメディアの台頭で雑誌を売るのが難しくなる中で、出版社はこぞってオマケ戦略に走ったが、そうなるとオマケの原価を広告料で回収するというビジネスモデルにならざるを得ないので、本体への広告埋め込みはさらに加速するよね・・・
また単に商業的な意味だけではなく、雑誌への広告埋め込みは、より象徴的なレベルでも進行しているように思う。
私は最近、いわゆるコンテンツは、 本質的にすべて広告なのではないかと考えている。
コンテンツとメディアが一体となった時代には、コンテンツを再生できるメディアを 「物」として購入してもらうために、 コンテンツが存在するのではないかということだ。
例えば音楽は、 物であるCDを購入してもらうためのCMソングということになる。 そしてそのCD(あるいはiTunesカードでもいい)は、コンテンツの再生を保証する。
小説は、 すべて紙の束を購入してもらうための物語で、印刷された文字列は、 物語を再生し想起させることを保証する。

同様に、Oggi紙面で提案されるコンサバOL向けの通勤ファッションやライフスタイルは、すべてこの「クラスアップ万年筆」に宿る物語を提供する広告なのだ。

ということで中身を見てみよう(笑)









全体的に相変わらず暗い色使いの服が多く、地味ーなトラッドだが、まあそれはそういう本なのでしゃーない。
ただ、なんかリアルできかれる意見ほど、oggiはBBA向けではないと思う。
げんにモデルは全体に若返ったような。。。りーざとか松島花とかみんな平成生まれじゃね?宮坂ネキを首にしたのは正解と思われる。あくまで個人的見解だが。






Oggiの素晴らしいポイントのひとつが、料理レシピコーナーが充実していることである。
女子大生~1、2年目のズボラOL向けの簡単レシピではない、まさに「ランクアップ」な感じの お・も・て・な・し 料理が載っていて素晴らしかったのだが、
なぜか今月はなしorz
なぜだ!!









財布カタログは良かった。



渋めデザイン中心なセレクトで、彼女(※コンサバOL)持ちのお前らがクリスマスプレゼントを選ぶのにも使えるだろう。



読み物ページは相変わらず、全体として人生への対してポジティブなバイブスが感じられて良いw








ところで昨日、YPPの2次試験を受けてきた。
とりあえず長かったので、途中でくっそ腹減ったわ。
軽食持ち込み可だったし、やっぱなんか持って行けばよかったかも(食べたら眠くなると思っていたのです(笑))。他の受験者はなにがしか食ったりしてました。世界同時開催なので東京会場は17:30~22:00っていう意味わからん時間帯だったしね。

内容はといいますと、まったく歯が立たなかったというレベルではない。。。が、当然ちと準備不足だったかと。
択一問題で国連の組織とかミッションについての知識を問う問題よりも専門系が多かったのは意外だった。
そして専門エッセイで要求されるメトリカルな技術はあんまレベル高くなかったいっぽう、少し経営学チックな知識がいるな、と思った。
今回は1次の結果発表まで準備は放置してましたし、ぶつかりげいこ的な要素もありました。
対策方法は大体分かったので、もし来年もチャンスあれば、今度は本気でやったろーーww

2013年9月3日火曜日

少女漫画、音楽、身体性

先月はふとしたきっかけで現代の少女漫画を抄猟することになった。
一部には、働く女性を主人公にした「女子漫画」も含まれる。

いまのところ読んだ作品群は以下の通り。完結してないのもある。

「5時から9時まで」
「ヒロイン失格」
「きょうは会社休みます。」
「好きって言いなよ」
「カノジョは嘘を愛しすぎている」

漫画自体ほとんど読まないのであるが、生まれてはじめて少女漫画を読みまくって、
まずはその激甘な世界観に圧倒された。正直食傷気味であるw
中には話として、非常に良くできているなというものもあり、特にヒロイン失格は登場人物の描きわけがとても巧みで秀逸だ。jk主人公という部分を差し引いても、万人にオヌヌメできる。

全体に、イケメンたちがこぞって主人公を奪い合う話が多い。
幼馴染みから好かれていて、そこにぽっと出の王子様キャラが現れ、甘い言葉で口説きまくる→幼馴染みと恋敵になる。
主人公はふたりの間で揺れつつ、なんやかや楽しんでいて、自分のことは棚にあげ、幼馴染みとか王子様が他の女に靡くと容赦なく嫉妬するw

というようなのが何となく共通のプラットフォームかなと。。
自分は性的に奔放に振る舞っても、男には貞操を要求するらしい。

婦女子たちの、イケメンに奪い合われたい願望をストレートに描いた作品と言えば、漫画でこそないものの最近では「ラストシンデレラ」が記憶に新しい。これは往年の月10のオマージュ的記号に満ちた作品であり。。。ま、ファンタジーですな()

こういうテンプレに「自己実現」という要素を加味したのがカノ嘘であり、これは音楽漫画として読んでもめちゃおもろい。
カノ嘘自体は、作者の青木琴美がCanCam7月号(ぷに子で話題になったイシュー)に描き下ろし漫画を描いていたのでなんか知っていた、し、ちょうど内藤理恵子さんもブログで取り上げていたので、読んでみた。

作画とか各エピソードのタイトルが厨二臭いのが玉にキズだが、文句なくおもろい。
主人公の女子が凄腕若手音楽プロデューサー(上記の王子様的ポジ)に一目ぼれされ、一気にスターダムを駆け上がるというシンデレラストーリー。
王子様にも仕事上のライバルがいたり(実質上恋のライバルにもなる)、セックス依存症ディーヴァの元カノがいたりと、娯楽作品としてとてもよーできとる。

内藤さんもブログに書いてるように、聴いてる音楽が立ち振る舞いとか全体的なvibesとして現れてる人がいたとして、しかもそのジャンルが自分の好きなジャンルと一緒で、かつ顔が好みだったら・・・惚れる!っていうのは、わかるなぁ。。
なかなかいないだろうけどもw

(カノ嘘の王子様は、多分重めのロックがプロパーな職業音楽人なのだよね。。そのへんの設定は残念。90年代の松尾潔的タチーチだったら超最高だったのに!!笑)

ファッションとかとも密接に結びついているけど、身のこなしとかで「あ、この人たぶん○○な音楽好きだな」ていう瞬間は、ある気がする。
ちょっと特殊な例だけど、いま私はスノボに本格的に夢中になっていて、屋内ゲレンデ施設にワンメイクジャンプを習いに行っているのですが、そこにはインストラクターも含めてたくさんライダーたちがいます(夏にもかかわらず!)。

ほいで、スノーボーダーって大きくわけて2種類いると思って、、、、、まあ、パンクス/スケートロック系の人とヒップホップ系の人なのな。
どっちのトライブかは板のグラフィックとかで大体わかるんだけど
前者はやっぱりテンポの速い音楽なので、回し系の技のときとかギュンッ!と初速が速い人が多いと思うけど、いっぽうでヒップホップ系の人はブ~~ンとメローに回ってるような・・・??気のせいではないと思う。

(もちろん私は後者をめざしています・・・!でも、、、う~ん、ワンストロークでゆっくり回るのって難しい>< もっとうまくなりたい><)



ちなみに私が習っているプロライダーのMくん(同い年)は、EXILEの音楽が好きと公言している人で()、あんま上の類型化にはまらないのですがw 彼のすべりからはニュージャックスイングの香りがする、かもしれない。

2013年3月21日木曜日

美魔女の作り方・・・ではないッッ!!(本の感想)

移動中に読もうと思い吉祥寺の本屋で平積みの中からテキトー買いした本だ。


40代・大人女子のためのお年頃読本 プラチナ編 [単行本] 横森 理香 (著)

タイトルだけ見ていまどき流行りの美魔女講座かと思いきや、むしろアンチ美魔女的内容であった。

肉体的にもメンタル的にも、否が応でも枯れて(失礼)いってしまう40代の女性のために、そうした変化を所与の条件として受け入れつつ、どのようによりよく生きるか、その知恵を説いた内容であった。


話題は生活習慣から家族との関係、恋愛、趣味教養の話まで幅広いのだが、美容&健康の話題について取り上げたチャプターでは、アンチエイジングに投資しまくって20代30代と同じようなルックスを無理してでも保って美魔女を目指すのではなく、むしろ小娘にはない、40代だからこその叡智と品性を活かせという戦略が提案されていました。


かなり腹を割って書いてくれてる生き方論て感じだ。





まだまだ今の自分のことばっかりで必死な私のような若造は、自らの老いや衰えについて、いつか訪れるものと頭では理解していても、なかなか実感ベースではわからない。

しかし、「死ぬ」ということは決してある時点で突如訪れるイベントではなく、われわれ誰しもがこの瞬間にも確実に、そして不可逆的に死に近づいています。
生きることは、ジワジワと死んでいくプロセスとも言えるのだよね。
つまりどのように老いるかという問題は、どのように生きるかという問題と同値なのであって、この本の読者層として決して想定されていないであろう20代男性とも無関係ではないんす。


横森さんは、最大公約数的な良い生き方として、やっっすいプライドを捨てて、今置かれた場所で精いっぱい楽しんで生きましょう人に優しくしましょうということを、是是非非で推奨します


誰にも共通して言えるよい生き方とは、自分というものを最大限に活かして、世の中にささげること、ではないでしょうか。世の中というものが家族であったり会社であったり、コミュニティや社会であったり、地球環境や復興支援であったり、人それぞれだと思いますが


矜持とは、自分が憧れる、尊敬できる行いを自らできるようになること


プライドなんか持ってたら、つらくなるだけです。そんなものは捨てて、「今ここ」に居る自分を楽しみましょう



私事になりますが、いちおう今は、同僚にも恵まれ、自分の能力を活かせる、やりがいある仕事をしてい(ると信じてい)て、愉快な同居人たちと、若者が住みたい街No.2の下北沢でシェアハウスしていて、音楽その他趣味の時間も充実してるし、交友関係にも特に大きな不満はないっす。

ないんですが。


まあ、人に嫉妬することはあるわ。
他人様にはあれがあるけど自分にはない。自分にはあれもない、これもない、と気づいていくプロセスが人生なんかなぁ(恍惚)
そう。わしには金もないし色もない。それでもモテたいんだけどね。

ただ、毎朝、目を覚ますとはじまる1日1日が、神様から自分だけへの贈り物なんだよねーーとか思うと、わりと幸せだ(His amazing grace♪)。






フ■ブライト財団がたった一通のコピペレターで、アイビーリーガーになるという私の長年の夢を破壊してから、いくばくの時が経った。


仕事では欧米の大学との付き合いもありますし、関連学会に出たりもしていますから、コーネルとかジョージアテックとかの学生とかポスドクみたいな人らと知り合ったりするんですね。
まあそれぞれ大変なんだろうが、そういう人らと会ったり、大学のキャンパスいったりすると、やっぱ自分もまた思いっきり勉強してーなーーくそーこいつら羨ましいーーとか思って ぐぬぬ。。。となりかけます。


ただまあ、今はとりあえず、林先生ばりに

「IMDSH!(゚Д゚)」(いまでしょ)

とドヤ顔キメれるよう置かれた場所で咲いて、本物のアイビーリーガーよりもスマートでタフな、ラギッド・ジェントルマン(F&E的語法)になったろうと思いますよ (・_・)




うららかな春の訪れがお前らの心に優しさを与え、平和の実を結びますように。

2013年2月15日金曜日

non-noが普通の雑誌になっているときいて_φ(・_・

この話はすぐブログのエントリにしようしようと思っていつつ延び延びになってしまってた。

だからちと、前のことになってしまうのだが、先月、新年を広島で過ごしているときに、地元が近い大学時代の友だちようするにaraki&teraoと遊ぶ機会があった。

そのとき何となく女性誌の話をしていて、araki&teraoが「最近non-noが普通の雑誌になっとる!」と言ってたのが気になってたのな。


これは自分の目で確認したほうが良いと思い、





生まれて初めてnon-no買ったったわw


ところでここでの「普通の雑誌」という発言には当然、「non-noは従来は普通の雑誌ではなかった」というニュアンスが含まれる。

いちおう解説するとnon-noが対象とする層はほぼ女子大生ないし女子大生相当だ。
高校を卒業し、私服を着る機会が増えるもののオシャレへの関心がそれまで相対的に薄かったためなかなか化粧もファッションもどうすれば良いかわからんがしかし、大学デビューを見事果たし昇り龍へとならんとする、鯉のようなマインドを持った女子がターゲットだ。
というのは冗談で、本当はほとんどのnon-no読者にそこまでの上昇志向はなく、とりあえずガッコ行くのに恥ずかしくないカッコをしたい(←サクラップ的な押韻をしてしまった)という程度のメンタリティだろう。なんとなく2ch的表現をすれば、所謂「脱ヲタ」雑誌的な位置づけにあると言える。

逆に言えば、脱ヲタのステージを通過した女性たちにしてみれば、「ちょいダサい」領域に属する内容なのだ。
Arajin&Teraoの言葉を借りれば「素朴な感じ」が特徴(だった?)らしい。

お姉さんバージョンにあたるMOREと並ぶ集英社ラインは、どこかちょいダサな女性誌の筆頭として認知されていることはわしでも知っていたので、ぶっちゃけ今回は普通の本屋ないしコンビニで買うことはためらわれた。
amazon便利すね。






まあなぜちょいダサかというと、
脱ヲタしようと思った場合、いきなりガチで紙面がオシャレだとハードルが高すぎるので、脱ヲタwanna-beにも親しみやすい/手を出しやすいようなカッコ(i.e. いわば無難系)を推すことが有効だという理由からだろう。


しかしそんなnon-noが最近になって、佐々木希 桐谷みれい 本田翼 という3本柱を揃え、異性モテ系にシフトしているという!!





どーーーーーん






で、どれくらい「普通」になっているかというのを比較検証するには、本来は歴史をたどらねばならない。




しかし既に書いたように、私はnon-noを買うのはこれが初めてなので比較しようがないのでテキトーに書くが、全体的に、すごい甘口だなというのが正直な感想である←











春物ではじめのシーズンだというのもあろうが、パステルカラーとても多く、全体的にモヤッとしてんなーという印象さえある。
まあ良くも悪くも悪くも、女子大生って感じだな(上から目線ヵ☆)。トガってないほうの。






中には、「お前miniかよ?」(さまーず三村風)というようなコーデネートもあったりしますが







しかしnon-noは本来カジュアルで、こういう青文字っぽい感じも多かったハズなのだな。
ところがこういうのが浮くくらい今はモテ系中心の紙面作りだ








まあこういう人らよくいますよねw親しみやすいですね。





いかにも女子大生なコンテンツであるリクルートスーツ 特集もありま

 
くっそw 佐々木希かわいいぜw



ほいでたまにこういうカッコいいのもあったり↓


これは好きだなー()
おじカジの進化形て感じで。

岸本セシルさんは正直名前知りませんでしたが、インテグレート[ínṭəgrèɪt]のCMに出とった子か

 
髪長くても短くてもいいっすね(←おっさんヵ☆)



最後に、女性誌の面白さが詰まっている読み物ページを見てみよう


見えにくいかもしれないが、これは恋愛系ページだ。
同じ女子大生向け雑誌でもRayやJJがストレート・ノーチェイサーな感じのモテテク記事を組むのに対し、non-noでは"奥手"系と"受け身"系(違いがわからんがw)女子のそれぞれの彼氏が出来るまでのストーリーを追跡している。
「いつも片想いのあたしにも彼氏できるにはどうしたらいいの?」というスレてない1回生女子たちの朴訥な問いに回答している。。。かのようだが、あくまでケーススタディなので汎用性がどれほどあるかは微妙。
いずれにせよ、non-no読者には草食系が多いのだろう。


今の編集長は越崎さんという男性らしいのですが、non-noの発行部数を、50万部オーバーまで持って行った凄腕として、去年末あたりNHKのプロフェッショナルの流儀かなんかに取り上げられてましたわ。思わず見入ったわ。
ICTリテラシーの高いデジタルネイティブ世代が20代に到達し、女性ファッション誌にとっては冬の時代にあっても、ゼロ年代のCanCamに迫る50万部超えというのはすごいっすね


男性おしゃP(つまり男性でありながら女性向けの財やサービスを提案するするおしゃれプロデューサーズ)がテレビで取り上げられるのは、特に日本ではめずらしくないかい?
海外ならMarc JacobsやManolo Blahnikなどが思いつきますが。

そんな越崎サンのストラテジーというのは、個々のモデルに設定したキャラをとことん活かす・・・といったようなものだったと記憶している。うる覚えで申し訳ないが。

で、現物のnon-noを読んでみると、ここでの「キャラ設定」みたいなんが実に巧みだと思うわけで。

というのは、例えば巷の野郎どもが最近こぞって絶賛している本田翼とか、すごいキー人物だと思うわけっすわ。
私はこの子は、いかにもコミュ力低そうでメンヘラ臭がするのであんま好きじゃないんだが、まさにそこを狙っているのが、non-noなのだと考えられる。




↑「草食女子デス」なる見出しがつけられたこのページでは、本田翼本人のバレンタインデーの思い出として、男子にチョコをあげたことはなく、むしろ女子から渡されるという役割を演じていたというエピソードが語られる。
まさに典型的な奥手系であり、同族からの共感を誘う内容であることは想像に難くない。
親しみやすいですね()
このような巧みなキャラ設定戦略により、non-noは従来の読者である奥手系をガッチリ掴んだまま離さず、同時に 佐々木希や桐谷みれいなどの直球モテ系女子を揃えてモテ路線にも顧客を拡大しているということだろう。

結論としては、確かに今のnon-noは「普通」に近づいているのかもしれませんけども、いっぽうで依然として朴訥とした内容もしっかりと残していますよと。
またさらに言えば、佐々木桐谷本田のラインは他のメディアでの活躍が既に非常に大きいのでnon-noモデルのイメージが薄い。それだけに、彼女らの在籍だけで、雑誌としてのプレゼンスを、かつてのCanCam Dynastyが誇った栄華に比肩しうるレベルまでもってけるかはまだ不透明だと思います。
引き続きウオッチしていきましょう




2013年1月8日火曜日

ゴシガのサイドリーダーとしてもオヌスメである(本の感想











      ○
 /⌒\ (__)
 \●/(__)/⌒\
  ∩ (・∀・ )\●/  みんな摩天楼に恋をした♪
  Y  ̄ ||y||  ̄`''φ
   Lノ /ニ|| ! ソ
    乂/ノ ハ ヽー´
    `ー-、__|



レンタル開始となった「ゴシップガール」シーズン4を見つつ、去年の12月に読んでいた。

この本では「無垢の時代」や「ティファニーで朝食を」に始まり、「プラダを着た悪魔」、「セックス・アンド・ザ・シティ」、「ゴシップガール」にまで連なる、ニューヨークを舞台としたポピュラーカルチャーの系譜を紐解きつつ、そこに表象されたニューヨーカー女性たちの文化風俗とその変遷が分析されている。
さらに、こうした作品に描かれる華やかな都市風俗を、現実世界においてクリエイトしてきたおしゃPたち:ヘレン・ガーリー・ブラウン、ダイアナ・ヴリーランド、そしてアナ・ウインターetc.の実像にも迫るというなかなか骨太な内容となっている。
特に、「ティファニーで朝食を」 においてオードリーヘプバーンが演じた主人公ホリー・ゴライトリーのモデルは誰か?について考察したチャプターは読み応えがある興味深い内容であった。

さて、つい先日本土で最終シーズンの放送が終了したテレビシリーズ、ゴシップガールには実はニューヨークを舞台にした映画やブロードウェーの名作などのオマージュ的シーンや台詞が散りばめられている(タイトルに露骨に出ているエピソードも多い)。このことは日本ではあまり認知されていないのだが。
そもそもゴシガは、きらびやかなマンハッタン社交界の伝統と矜持を必死で守ろうする女の子ブレアと、伝統とか文化とかそんなもんにつきあってらんねーわ的態度をとる放蕩娘セリーナの間の"Frenemy"的な関係を軸に展開する作品であり、ニューヨークにおいて失われつつある社交界カルチャーの光と陰というのが全体を貫くテーマのひとつとなっている。
したがって、ゴシガの作品中かしこにサンプリングされたニューヨークの映画や演劇についての知識があれば、より楽しめる。
そうしたウンチクを得るにちょうど良い本なので、ゴシップガールのファンは読んでおくべき!

2012年12月17日月曜日

おしゃPの死、焼肉屋のステマ(本の感想です)

この2年間はおしゃPゴリ推しだったJJがこのところすっかりお嫁系リバイバル路線だ。





最新の2013年1月号をチェケラ。






まず表紙。ブリッコポーズ。このモデルさんは私の大学院時代の美人な先輩に激似だ。







「社会人の彼氏ができる〜」というこのキャッチについてはネット各所でも騒がれていた。
 インパクトはすごくあるわな。ゴクリ。
善し悪しは別として、とりあえずJJはまだまだ影響力ある雑誌ですよということで。






もくじ
 
 訳:中流社蓄捕獲計画








  

女性誌なのに紙面は男だらけだ! 
実際に中流社蓄を彼氏に持つJDのインタビューが載っている。




そして中流社蓄の意見もたっぷり載っている。
たまたまだが、昨日我が家に遊びにきた子の知り合いがこのページのうちの数名らしい(東京こわい)。

が、女子に着てほしい服について「デニム」「マキシスカート」など彼らの実際の答えはすべて改ざんされてしまったようだ。





なぜなら、編集部が推したいのはこの時代にあっても




白ふわ&肌見せ(`・ω・´)
 
だからなのだ!!!




 まったくもってけしからん↑







 そしてこの特集は結局、焼き肉屋や外資ホテルの広告で終わる。








雑誌(女性誌)への広告の埋め込みの歴史については、

「アンアン」1970 や、雑誌文化の中の女性学に詳しいので読まれるよろし。



JJはゼロ年代前半にキャリア系に一気にシフトしたCanCamに対して、旧来のコンサバ系女性誌の定番路線だった、ハイスペ男子を食ってリッチな専業主婦になることを最終的な目標とする「お嫁系」に留まったため凋落したという歴史を持つ(以前のエントリも参照されたし)。

これを受け、ポストCanCam無双時代にJJが前面に押し出したのがおしゃPだった。





例えば手元にあるJJの2011年10月号を見てみよう。



サエコさんチーーーーーッスwwwwww







見てわかるとおり、この時代のJJはおしゃPだらけで、おしゃPなしでは紙面を作れないと揶揄されさえもしていた。





しかし紙面はなかなかカッコいいんだな。 見よこのesprit感を!!









 最新刊との落差は、1年前の同じ雑誌とは思えん。






そして去年のこのシーズンはうら若き乙女の間ではブリトラがブームだったのでこういう男っぽいクツが流行ってたよねww





まさかとは思うが、万が一知らない人がいるといけないので記しておくが、おしゃPとはおしゃれプロデューサーの略であり、日本のカワイイ文化を創出し発信しつづける女性クリエイターのことだ。
内実はアパレルのデザイナー、雑誌の編集者、ディレクター、プロデューサーなどで、要は日本版Kate Spadeといったところになるだろうか。。
代表的なおしゃP、荻原桃子氏や 松本恵奈氏があげられるだろう。また、ダルビッシュの元嫁も広義にはおしゃPだ。

シャレオツで女子への影響力は甚大だから友達も多いし交友関係も広い。当然仕事はバリバリで色とともにカネもある。イケメン彼氏はアクセサリー感覚・・・という、極めて自立心の強い猟犬のような、いや、まさにSATCの登場人物たちのようなメンタリティを持つ女性たちだ。

おしゃPは、雑誌の「外部でありつつ内部」という意味で、毒モの延長上にも位置づけられると思うが、JJがおしゃPを殊更に推したのは、ドットコム時代にあって、自らを含むファッション誌の最大のライバルがブログであることをいちはやく察知したからだと考えられる。

つまりアパレルの経営者や各種メディアのディレクターのブログから直接情報収集をする女子が増え、雑誌の発行部数が落ちることが懸念されたので、逆にそういうブロガーを予め雑誌サイドに取り込んでおくことで顧客をマージする戦略だったのだ。


ゼロ年代における女性の近代的自我を超克する試みとして、エビちゃんOLに続くのがおしゃPだと思ってたんだがな〜〜
なんでここまで極端な揺り戻しが起こったのだろうかね。

ひとつにはファッションブログカルチャーが、海外ほど流行らなかったというのがあるだろうが。
あとは、就職希望新卒大学生の正規雇用率55%とかいうこの狂った時代にあって、
「やっぱ女だと働くとか厳しくね?」という考えを持つ集団のマスが無視できないレベルになったということだろうか。

お家芸であるモテテクページとともに、毎号しつこく就活ページを設けているRayのほうがまだ好感が持てるというものだ。

2012年9月30日日曜日

天竺帰りの模倣という症候

レファレンスがやや古いし、書こうか書くまいかずっと迷ってたがそのうち忘れてしまいそうな思いつきがあるので記録しておこう。














JJ10月号の一角を占める特集に、「9月入学スタイルはこう真似しる!!」なる記事がある。



9月入学、すなわち帰国子女的な装いに対する憧れが、うら若き乙女たち(お姉系JD)の間では興隆しているらしい。

内容を深く記述してもしゃーないが、「9月入学スタイル」とは、9月に大学に入学してくる学生=帰国子女枠裏入学生のような格好、つまり日本人でありながら簡単にいえば洋モノのファストファッションなどをうまく取り入れたエスプリ感あるガイジンぽさを備えたヤツらの服装を指しているようだ。


この記事は面白いのは、20世紀の人文科学における女性性についてのひとつの仮説を補強するエビデンスであるように思われるからだ。

単なる欧米的な価値観や生き方に憧れる脱亜入欧的ないし白欧コンプレックス的、ないし西遊記的(同居人I.Uさん発案)なイデオロギーなら明治時代からあったわけだし、今でいうミランダカーないしオリビアパレルモないしニコールリッチーのような海外セレブに対する憧憬も非常にコンベンショナルなものだ。

しかし9月入学スタイルが面白いのは、そうした西欧近代的なものに対する直接的な憧れを表現するのではなく、西欧において"啓蒙(enlightenment)"を受けて帰ってきた日本人を模倣することが是々非々で推奨されている点だ。

つまり、転移のコースが脱臼しているのである。

帰国子女ではない人物が帰国子女ぶるという行為は、「女は存在しない」というジャック・ラカンの言葉を思い起こさせる。

フロイト派の精神分析理論において、「女性」の本質は表層的な見かけにあり、「男性」の本質は内面的な機能にあるとされる。
女性の本質は見かけにしかないので、精神分析で一般的な解が得られるような女性性の本質なるものは存在しない、ということをラカンはいみじくも断言したのだ。

実際には帰国子女でなくとも、帰国子女"ぶる"ことに快楽を覚えるという性向は、時限的なペルソナをまっとうしていくJDたちの、雑駁に言って差し支えなければポストモダンっぷりを強烈に体現してはいまいか。


データベース消費と動物化が本当に時代の流れなら、愛されコーデが世界を回す♪というのは強ち嘘じゃないかもと思わせる。



今にはじまったことではないにしても、経済のグローバル化の中で、「海外」、「グローバル」、「国際」といった、ようは天竺的(I.Uさん発案)な属性を持つことへのプレッシャーは凄まじいものになっており、もはや社会全体が神経症に近い状態になっているのではないかと思う。
その結果「9月入学スタイル真似しようず!!」のような症候が現出しているのではないかね。

帰国子女のように国際的な経歴を持つことが結果的に現代の資本主義社会で成功することへの大きなアドバンテージになると多くの人間が認識しているからこそ、こうした表象がメディアに出現するわけだし。


そしてセレカジの興隆はコンサバ系JD雑誌の代表格ともいえるJJの内容すらゴシガ色に染めようとしているのか。。しかし、これはずっと前からの潮流かもしれない。わからない。

2012年7月17日火曜日

なんやかや働き女子が好き(本の感想


「女子」の時代! (青弓社ライブラリー)



読んだ。








さすが、神戸ニュートラ発祥の地であり、女性ファッション誌の草分け的存在であるJJが創刊されたとき、フェリスと並んでその学生が理想的な読者層として想定されていたという、甲南女子大学の教員陣が中心になって執筆しているだけある。









ライトな読み物としても楽しめるし、いくつかの論考はなかなかに学術的で、面白かった。







オタク女子にはじまり、「(少女マンガに対する)女子マンガ」の読者層(≒働き女子)、KPOP女子、鉄子、など多様なトライブ(こう呼んで差し支えなければ)が分析され、また、女子写真に見る「かわいい」の系譜学や女性ファッション誌の言説分析などヨコグシ的な論考もあった。




やはり興味をひいたのは、従来の少女マンガとは異なる「大人の女子」マンガなるものと、その読者層について書かれた節である。




『リアルクローズ』や『働きマン』といった作品に代表されるように(読んだことはないが)、大人の女子マンガには、企業で男性に囲まれてバリバリと働く女性を主人公にした作品が多い。

そして当然読者層としても、同じ様に働いてる女子が想定されている。




少子高齢化が進む日本社会において女性には労働力としてこれまで以上に経済活動に貢献することが期待されるし、就労者の平均所得も減っていく中で、旧来の腰掛けパン職→寿退社というようなライフモデルも通用しにくくなっている。

そうした中で、働き女子の生態系はますます興味深いものになっている(少なくとも個人的には)。




もちろん働く女性は昔からいたし、そうした人たちは体力的・社会的なハンデを負いつつもまだまだ男中心の資本主義社会をサバイブするたくましい存在、所謂「キャリアウーマン」だったのだろう。

しかしここで重要なのは、現代において女性が(男並みに)働くことが珍しくなくなった結果、マンガやドラマのようなマスカルチャーに表象される機会が増え、働き女子の人口層としてのプレゼンスが高まっていることだ。




さらにこの文化的な「マス化」は、働き女子自身の側にも変化を引き起こしている。

それが、『働きマン』における「男スイッチ」、いわば象徴的に「男になること」の意識化なのだろう。

つまり、企業社会において男性並みあるいはそれ以上のパフォーマンスを発揮するためには、象徴的かつ時限的に女性であることをやめ、男性のようなタフネスやクールさといったものを発揮する必要がある。

これは従来「キャリアウーマン」なら多くの人がやってきたことなのかもしれないが、こうしたプロセスが文化表象されることで象徴界に引き出され、ひいては「働き女子」なる新しいカテゴリを作り出している、というのが面白いと思うのである。




以前のエントリで、「女子」とはジェンダー間の内戦の実働部隊となっている女性のサブカテゴリではないかということを書いたが、この本における女子の定義は違う。

むしろ男性を参照点とせずとも、内在的に社会アイデンティティの自己記述を行う社会集団こそが、女子であると論じられている。

全体社会の中ではどうしても所与のものとして与えられてしまう男性⇔女性という二分律的社会関係からは独立しているのである。

つまり、究極的には「女子」は(生物学的な)女性である必要すらない。

げんにこの本にも書かれているように、鉄子(鉄道ヲタ女子)の多くは元男であるという。




この定義はそれなりに説得力があるが、しかしそれでも立ち現れてくるのが性差なのではないだろうか。

性差を超越し、まったく新しい社会システムとして閉鎖系を構成しようとしても(あるいはかようなものとして記述しようとしても)、女子の生態系内のコミュニケーションは、男女の二分律、そしてそれが帯びる旧来の社会的ステレオタイプとの接続の可能性を完全に絶つことはできない。

『働きマン』において反復される男というモチーフは象徴界に入った亀裂から覗く現実界のようである。という陳腐な精神分析学的アナロジーはどうでもいいが。




ともあれ、女子システムを観察する私は男であり、永遠の第三者である。

もちろん、いわゆる「女子」的な会話や「女子力」といった女子文化の構成要素が性差を超えて開かれているのは言わずもがなだし、これは非常に印象的な特徴だ。

ただ、女子のいかなるトライブにも属さずに、女子の社会システムを観察できるのは、男の特権であるのは確かだし、これからの女子スタディーズは、男性のほうからこそ、切り開いていくべきなのではないだろうか。

2012年6月1日金曜日

女子トライバルスタディーズは可能か(本の感想




Moeurs 女子ファッション徹底研究



ジャズサックス奏者の菊池なるよしがちょっと前にどっかに書くか喋るかしていたことだが、対外的な戦争がなくなった時代にあって、リビドー経済がデフレに陥り、日本社会はジェンダー間での慢性的な内戦状態に陥っているんだという。

この状況を反映して、オス側としては、オタク化による恋愛市場からの離反ないし、諸々のミソジニー的な文化表象などで女性に対する嫌悪を表明していると思う。そういや去年のGQだったかでゲイ特集なんてのも見た。
そしてメス側としての闘争形態として現在最も代表的なのは、草食系男子()に代表される諧謔的言説とか、黒ギャル(モテの放棄)、腐女子化、オジカジ(←個人的には森ガールより好き)、韓流ゴリ押し(cf.マッコリバー)、、などだろうか。

もちろん、この内戦に比較的関係のない層も男女双方に存在するのは確かだ。

ここ数年使われるようになった意味での「女子」とは、日本人女性の全体集合から、この関係ない層を取り除いた部分、つまり、日本におけるリビドー資本の過剰蓄積の解消に積極的にコミットしている女性たちのことではないかと思う。
そしてそれは、所謂若者〜アラフォーの年齢層に大きな割合を占めるであろう。(フェミババァは当然含めるとして)

言いたいのは昨今、「○○女子」という社会集団の動きや社会生活の周辺にますます明確な線が引かれようとしつつあり、後期資本主義の人文学の黒歴史とも考えられがちなカルスタの理論での分析ができるようになりつつあるのではないかということだ。

社会学者の宮台真司はかつて、マクルーハンによる現代のトライブ(部族)という概念を援用して、日本の都市風俗を説明した。
分析の対象になったのは90年代の「ナンパ文化」と「オタク文化」であり、かつて両者の間に明確に存在したハイアラーキーが単なる志向の違いとして昇華されることにより、等価な地平に置かれるようになり云々というアレである。

女子カルチャーに目を向けると、音楽とファッションの消費によるテイスト文化としての特徴をわかりやすく備え、「ギャルサー」に象徴される強力なソーシャリティを持つギャルの生態は、従来よりひとつの社会現象として研究の対象にされてきており、系譜学が発達している。
しかしここで私が関心があるのは、所謂コンサバ系や森ガール、B系(絶滅危惧種)等も含めた、講読する女性誌に基づく女子トライブの分類である。



さて前置きが長くなりました。
この本は、ちまたにあふれる女性ファッション文化を多くの人が理解できるよう、ハイテーィンから20代の女性ファッションを全10系統に分類して紹介している。

以下本文からの引用


・・・メディアの多様化が大きな要因としてあったのです。そうなると、以前のように、皆が画一的な情報を共有しなくなり、フラットな価値観を持った若年層は、長引く日本経済の不況や物価の高騰のなか消費に消極的になり、高価なものに憧れを持たず、「好きなものを自分らしく着よう」と方向転換したのでした。この細分化の動きは、ギャル系雑誌、ストリートカジュアル系雑誌の増加だけではなく、既刊誌にも影響を及ぼしています・・・ 




もちろん、読んでいる雑誌や服装だけで女子をトライブに分割することに無理があるのはわかる。わかるけども。
個人レベルで取り出すと、少なからぬ女子は境界的領域に属すると思うし、個々のトライブにしても、常に分岐と統合が続いている。
(すぐに思いつくのは、マインドはギャルでありつつ青文字系のアイコンでもあるきゃりーぱみゅぱみゅという特異点である)
しかし、マクルーハンの言ったように、メディアはそれ自体メッセージなのであり、女子の服飾が一定以上、それをまとう個人の文化的属性やライフスタイル、価値観などを反映しているのは確かなはずだ。

たとえば、



「新しいスカートで臨んだ今日の社内プレゼン、結果は上々。 部長にも褒められちゃった♪早くユウジに報告しなきゃです!」



「同期の裕子に誘われてバーパーティー♪初対面のメンズといっぱい話そ!」




これらは本の中で、コンサバ系(i.e OL系)ファッション誌を模倣(揶揄ではない)して書かれている、いわばありがちなコピーなのだが、まじでこういう世界観の中に生きてんだなーっていう女子が、わしの知り合いだけでも数名思い当たる (メールにおける体言止めの多用が、鼻につ・・・かず離れず)。
このへんはもはや、男にとっても肌感覚のフォルクロアナレッジと言っても良い部分はあるだろう。

同じコンサバ系でも、キャリア色の強いOggiやMOREと、いわゆる腰掛け一般職(もしくはその予備軍女子大生)向けと考えられるRayやCLASSYとの棲み分けが現時点で成立していると思うのだが、昨今のパンショク激減で、この2つのトライブの統合が進むとどうなるんだろ・・・とか個人的には面白いとおもふ。

とにかくである。社会研究として成り立つかどうかは別として、もはや女子服飾文化はある意味、一般教養なのでは。

彼女らは、あたかもヒップホップが新旧さまざまな音楽をサンプルして作り出されるように、移り行くモードの中で、ポストモダンのペルソナとしての被服を次々に纏い、時限的なアイデンティティをまっとうするネオトライブだといえるのではないか。

そんなことを考えさせられる本であった。
男にとっては、なかなか敷居の高い女性誌の世界をざざっとブラウズできるのが楽しい。
もちろんファッションの専門書誌に比べれば情報は薄く浅いのだろうし、社会学的/人類学的な記述なんてものは当然ないが、コラムで取り上げられている姫ギャルの源流とか、コレクションとファストファッションブランドの関係とか、読んで面白い内容はたくさんある。
そしてモデルの絵(全部萌え絵調に描かれている)が本当に可愛いので、これを機に二次に目覚めるのも、悪くはないだろう。