ソウルから帰った。
ソウルはもうお手軽すぎて、海外という気すらしないけど、つるんでくれた現地の友達のおかげでほんとうに楽しい旅行になったわ。
実質4日間しかいなかった小旅行だったけども、そうとは感じられないくらい中身が詰まった良い旅行だった。
韓国料理たべたり、なかなかマニアな市中の観光スポットを巡ったり、ジャズクラブでライブをみたり、山間部にあるお洒落系ペンションに泊まって焼き肉したり、飲んだり飲んだりしました。
友人たちとは同じくらいの歳なのだが、やはり現在韓国は日本以上に若者の就職事情が悪く、彼らもちょいちょい任期付きの仕事とかしながらより良い労働条件を探して日々hustleしているという状況だ。
厳しい時代である。
この世界には2種類の不確実性がある。
まず第一に、対象に本性的に備わっている不確実性がある。
たとえばコインを投げるとき、表が出る確率は50%でしかない。
そして第二に、対象に関するわたしたちの不十分な知識からくる不確実性がある。
いわば認識的な不確実性だ。
たとえば「表がでる確率は50%である」というコインの性質を知らなければ、コインのふるまいに関する予測はより、不確実になる。
このうち、第二の不確実性は、世界に関する知識を獲得する努力によって低減することができる。
コインの性質を知ることは、賭けをする際の適切な行動選択の条件になる。
ただ、コインの表が出るか裏が出るかについては、最終的には不確実なままだ。
表が出る確率を努力によって大きくすることはできないのである。
同様に、自分を鍛えて優秀になることや、情報を収集したりコネクションを作っていくことで、人生やキャリアに関する第二種の不確実性を低減することはできるかもしれない。
しかしどれだけそのような努力を行ったところで、社会(Gesellschaft)の構造やふるまいが抱える第一種の不確実性はそのままに残る。
さらにこんにちのように、社会経済の構造が持つ不確実性が大きくなっている時代にあっては、われわれが個人や集団として縮減できる複雑性の範囲は極めて小さい。
最適行動をとったところで得られるリターンも少なく、かといってリスクが非常に小さくなるわけでもなし。
だからこそ、人生というギャンブルでは「この道」を行こう、狭き門から入ろうや。
というような辛気くさい話ばかりしていたわけじゃないですが。
兎に角、
こうしてどこか外国の街に行っても友人が迎えてくれて、楽しい時間と笑いを提供してくれるというのは素晴らしいことだなーと思う。
メルボルン、シンガポール、ボストン、ソウル・・・ほんで京都も。
まだ欧州に拠点がないが、このままいけば世界征服も夢じゃない。
というのは冗談でも、こうして世界中で思い出が分有されていって、私という記憶がいろいろな場所で残っていくのは、なんとも素敵な話ではないですか。
まだ学生だし結婚もしてないからできることだなー、とは思うけど。