2010年1月30日土曜日

My Favs⑧





Boyz Ⅱ Men "Legacy" (2001)



















人間と同じで歌にも寿命がある。

ありますな。
寿命が長い歌となると、リリースから何年経ってもラジオから流れる。
ベスト盤が店頭から途切れない。
風呂場でついうっかり歌ってしまうメロディ。
わしで言えばEnd Of The Road。
ハウキャンユーラブミーアンリーブミーアンネェーヴァーァセイグッバーーーァアーイ
歌詞はうろ覚えやがw
それにしたって寿命が長いのにかわりなし。
思い出すなぁ、わが幼き日に母がこの曲をカーステでかけた瞬間、ボーイズⅡメンのファンになってたもんね。
当時はハニカミ房だったからよー、この曲好きとか言ったり、CDと一緒に歌ったりはしなかったけどね、今となっちゃ帰省して母のクルマを貸してもらって一人で運転してるときなんかは、グローブボックスに常備されてるこのベスト盤かけてそれこそ熱唱だもんね。熱唱。
オールドーウィーヴカーム トゥーディエーンドォーヴダローーーォオオド スティルアイキャーンッ レーッユゴオーォオ
歌詞はうろ覚えやがw

とは
いえですよ。
新しい曲もばんばん出てくるわけでありまして、どんなに寿命の長いご長寿ナムバーでもだんだん新曲に埋もれていくというのが世の常。
で、いつの間にやら人々の記憶からも消えて、ひっそりと忘れられていくのだ、ああ無情、じゃなくて無常。
人とて同じね。ああ哀しい。

寿命と言えば落語に「死神」という一席がございますな。
三遊亭圓朝作。
人間ひとりひとりの寿命を灯したローソクというのがありまして、これが短くなって消えるとご臨終。
その寿命ローソクの管理をしているのが死神様。
主人公はその死神様のひとりから、もうすぐお呼びがかかる病人に憑いた死神を退散させるおまじないを授かった。
それを使って難病を治して医者として大もうけ。
でも悪銭身に付かずでああなってこうなって、でもって「あ、消える」っていう、あの噺。
サゲは落語家さんによっていろいろある。

その「死神」のラスト近く、ハイライトのところで自分の消えかけたローソクの炎を継ぎ足す、というシーンがある。
うまく継げればまだ生きられる。
とまあ、人の寿命の神秘をファンタズィーとして仕上げた落語ですな。

さて、これが歌の話となるとですね、思いがけないところでローソクの炎が継ぎ足されたりするじゃないですか。
マクラが長くなりました。
ボーイズⅡメンさんの"End Of The Road"ですよ、アナタ。
カバーしちゃった。
そうきたか、Ashantiさん、あ、違った、Atsushiさん。
EXILEだけじゃなくてゴスペラーズさんまで。
ニクいねぇ〜

こうして日出ずる国でもメジャーな歌い家たちにカバーされる、そんでその映像なり音声なりがまたネットで無限に投下されるとね、曲としてはパッと炎が継がれたと申しましょうか、輝きが出ちゃうもんですなあ。
いやもちろんイイ曲ですよ"End Of The Road"。
1992年の全米大ヒットナンバー。
今でもリストランテとかでかかってたりするとアフゥ〜〜ってなるね。ア〜フゥ〜〜
一昨年結婚した地元の同級生も披露宴で使ってたような。
でも私はあえて問いたい。。。これ失恋ソングじゃないか?笑
タワレコの店頭でも「Atsushiがカバーしたあの話題の曲が入っているのはコレ!」とかPOPがついてたりしてますぞ、ボーイズⅡメンのベスト盤。
なんつうんですかねえ、最近いなくなったなーと思ってた芸能人が結婚してメディアに取り上げられると、ぐっと若返って見えるというような?
たとえが悪いか。

でもさあ、まあ言ってみれば、ポップヒットを狙いに狙って出した(と思われる)超美メロだからさ、賢者タイムの耳からすればちょっとさ、チャラいじゃん。
このベストに入ってる他の曲にしてもさ、似たような曲ばっかだよ。
On A Bended Kneeとか、4 Seasons of Lonelinessとか、失恋ぐっすんクヨクヨ系が多いな。初期のボーイズⅡメンは。
結婚式に使うならOne Sweet DayだろJ/K

だけど、このナンバーを選んだ友達も、コレいいじゃ〜ん、ってタワレコで試聴してるチャンネーもですね、多分「ボーイズⅡメンがイイ」とはちっとも思ったりしてないのである。
あくまで"End Of The Road"が良いのであって、このグループは、元々同じ高校に通う少年たちがガッコのトイレで合唱してたのが結成のきっかけだとか、2004年にマイケルが脱退して3人になっちゃったとか、グループ名がニューエディションの曲名からとられてるとか、どうだっていいのである。
実際ブラックミュージック愛好家であるところのわしからしても、ボーイズⅡメンなんてどうでもいいと思っているキライあり。

ってそれはない。

ところでこの間カチコんだ仏文研究室の卒論打ち上げではフランス帰りの5回生(初対面)に「ノリ突っ込みが弱い」と指摘されてしまったよ。
サーセンw
つねに課題はありますです。

いや実際ね、文句無くすごくイイよ。ボーイズツーメン。ボーイズツタンカーメン。墓に入れるなら兵馬俑よりカップメン


それにね、もしも願いごとがひとつだけ叶うなら、この人らのうちの誰かみたいな声になりたいと思っている。
でも、この4人から1人の歌声をピックするとか、究極の選択だよね。ゲヘへ(下卑た笑い)

とにかく、そーいう一人歩きがちなとこが流行歌の凄いところなんだよね。
名曲は、それが誕生したときから名曲なのではなくて、残ってこそ名曲、っていうのは渋谷陽一が言ってたことだよな。
リリース当時にヒットしてなくても、長く愛される曲となることもある。
逆にヒット曲だからイコール名曲にあらず。

記録に残ったからではなく、記憶に残ったからこその名曲。
この際、"End Of The Road"のさらなるご長命をお祈りいたします。
人もまた、実際の寿命以上に「人々の記憶の中の寿命」が、生きたお値打ちだものねえ。


がんばるぞ
今回はあえてのベスト盤セレクトでした

2010年1月27日水曜日

レフトハンダーズのユーウツ

月曜日にジャズ系のブロガーたちと球を転がしに行きました。

5ゲームも投げたから筋肉痛くるだろーなと思ってたけど、
なんか腕じゃなくて尻がずっと痛い。
ケツ筋鍛えんといけんわ。
しばらく変な歩き方してても華麗にスルーしてください。


ところで、

ラウンドワンのボウリング場でふと気づいたのが、ボウリングの球には右利き用と左利き用があるということ。(関係ないが、左利きボウラーの投球はオイルの減りが少ないレーンの左側を転がす軌道を通るため、右利きに比べ若干有利だという)
だが左利き用のバリエーションは右利きに比べ非常に少なく、これではしっくりこない球で妥協する人も多いんだろうな。と思ってしまった。
もちろんマイボール持参の人はそんなこと関係ないわけだが。
ちなみに月曜に参加された方は全員右投げボウラーでした。

そもそも世の中には左利きの人はどれほどいるのだろうか。
もちろん正確にはわからないが、およそ人口の7~15%だといわれている。
幅がありすぎる数字だが、それにしてもこのパーセンテージ、このブログをご覧の皆さん(特にわしのような完全右利き人間)の予想よりかなり大きいのではなかろうか。

おそらくこの7~15%というのは「左利きに生まれつく」ことの確率であって、実生活ではさまざまな事情から生来の「レフティ性」を(部分的にせよ)放棄せざるを得なかった人が相当数に上るのだと思う。

そこで、とりあえずこの世界の生まれつきレフティ率を約10%と仮定してみよう。

日本の人口は現在1億3000万弱と言われる。
ということは、10%なら1300万人弱。
ちょうど東京都の人口と同じくらいである。
では「レフティ」という集団に「東京都民」に匹敵するプレゼンスがあるか?

あるいは創価学会と比べてみてもいいだろう。
会員数(日本の)は、公称で1000万人。
もっとも、外部機関の調査では400万人らしいのだが。。

この(公称)1000万人の団体が持つパワーを考えたことがあるだろうか?

青と黄色と赤の旗を掲げる施設を日本各地に建て、創価幼稚園から創価大学までの教育機関を有し、出版社を三つ(聖教新聞社、第三文明社、潮出版社)も抱え、なんといっても支持政党の公明党をして長年にわたり連立内閣の一端を担わしめていたのだ。
また、創価学会の会員であるハービー・ハンコックは日蓮上人のお告げでジャムセッションでも定番の名曲「Chameleon」を作ったという(説がある)から、ジャズ系のわしらとも決して無縁ではなかろ。

こんな日本最強の宗教団体の(公称)会員数よりも多いかもしれない、日本の(潜在的)左利き人口。
それなのに、レフティ会館もレフティ大学もレフティ出版社もレフティ党も、その存在を聞いたことがない。
ラウンドワンの左利き用ボールの数だって絶対に全体の5%もなかった(と思う)!!

左利きピープルよ。君たちには団結力が足りない!

これは上京区在住の左利きドラマー阿久津ワタルにきいたことなのだが、世の中のいろいろなものが右利き向けに作られているために、左利きの人々には慢性的なストレスがたまり、平均寿命が全体の平均より約10年も短いという調査結果があるらしい(!!)




もののデザインを考える時に、使用者の要請が考慮されるのは当たり前だ。
そこからさらにさかのぼって、技術の進歩は直線的に起こるのではなく、関連する社会グループにおける需要との相互作用で、複数の進化の可能性の中から方向性が絞られていくプロセスを経る(ノンリニアモデル)という事実が、昨今のイノベーション論で注目を浴びている。

技術史で有名な例としてはピンチとバイカーによる自転車の発展史の研究がある。

昔のチャリはこんな形だった。





前輪が大きいのはその方がスピードが出ると考えられていたからである。
チェーンはなく、ペダルは前輪に固定式。その方がスピードが出ると考えられていたからである。
そしてゴムタイヤもなかった。その方がスピードが出ると考えられていたからである。
このデザインは極めて安定性に欠け、アスファルト舗装もない時代にゴムタイヤなしとは、乗り心地も最悪であっただろう。

そう。当時のチャリはスポーツ好きのヤンチャな紳士が危険を顧みず高速で乗りこなしてカッコつける、非常に中二度の高い乗り物だったのだ。
しかし長いスカートを履いた婦人たちにとっては、このデザインは非常に不便なものだった。

そこで安全性と利便性の観点から、(中二的満足度は下がるが)前後輪のサイズをそろえ、ゴムタイヤを装着した現在のチャリの仕様に近いものが開発された。
最初、野郎どもは構わず前輪がでかい中二仕様に乗り続けていたのだが。。。

実はタイヤがついてて前後輪同じサイズのやつのほうがスピードも速いということが判明した。

「女性」という社会グループが工業製品のデザインを転換させ(イノベーションを起こし)たのだ。



しかしどうも「レフティ」には昔からそういう影響力はないみたいで。

フランス革命後、全欧州を巻き込んだ合理化大変革の中で、工業製品に用いられるねじやボルトといった共通部品がついに規格化され、現在イメージされるようなスタイルでの工業製品の大量生産が始まったのはやっと19世紀に入ってから。

このとき大量生産されたのはなんだったと思われるだろうか。


最初のエンジニアといわれるレオナルド・ダ・ヴィンチも、ピンの科学者として駆け出しのころは武器職人としての腕をウリにしていたのだし、第二次世界大戦時のドイツ軍のV2ロケットと現在の宇宙技術、マンハッタン計画と原子力エネルギー利用の関係からも明らかなように・・・・・・・・・

軍事技術はサイエンス&テクノロジーの進歩をつねにイニシエイトしてきている!
(ちなみに軍事技術とはMilitary Engineeringの和訳で、対義語はCivil Engineering。日本語にすると土木技術)

そう、最初に単一規格で大量生産された工業製品は銃だったのである。
んー何とも悲しき人間の性(さが)。

で、これが全部右利き用だった。

ちなみにわしはまったくもって銃器マニアではない。

知っている銃と言っても有名どころばかり。
ロシアのAK47(カラシニコフ)にイスラエルのウージ、スウェーデン原産のTec-9、アメリカ製のMac-10とM16(エムアイシックスではなくエムジュウロク)。
エムアイシックスと言えば、007ことジェイムズ・ボンドが愛用するのはイタリー製ベレッタとドイツ製ワルサー(ヴァルター)PPKだったっけ。
以上である。

しかし今年成人する我が弟は戦争映画や戦争ゲームがこの上なく好きで、テッポーをこよなく愛しており、モデルガン収集を趣味とし、月刊雑誌『GUN』を愛読しているファロス主義者だ。
以下の記述は彼が先日語ったテッポーうんちくに大いに依拠している。

あしからず。

そもそもの話、「銃に右利き左利き関係あんの?」という方もおられるだろう。

多くの銃に共通する発砲の基本的仕組みは、引き金を引くと薬莢に込められた火薬を撃鉄がストライクし、その衝撃による爆発で弾丸が発射される、というものだ。
問題は、弾丸が放たれた後の排莢(用済みとなった薬莢を銃内部から排出する自動作業)である。

たいていの銃は「射撃者=右利き」という前提のもと、本人の邪魔にならないよう、右方向へ排莢することになっている。
これは銃の大量生産が始まった件の時代に行われていた設計の名残である。
その銃を左手で撃ったらどうなるか。
うまくいっても排出された薬莢が自分の目の前をビュンビュン通り過ぎることになるし、ヘタをすると薬莢がテメエの顔を直撃するのだ!

弟者によれば、世の中には左利き対応の銃も存在するらしい。
排莢口が左右両方に備えられており、どちらにも切り替え可能なもの。
あるいは、排莢口が真下を向いているもの。
後者の場合、これはこれで股間を直撃しないかと心配だが、少なくとも左右平等ではある。

だが、銃器メイカー「レミントン社」のホムペにある


長年の間、銃器会社は左利きを疎外してきた。しかし我々レミントンは違います。



という文を読むと…やはりレフティ対応の銃は少ないのではなかろうか。
(ちなみにこのサイトは、謳い文句がいろいろと道義的に突っ込みどころ満載で暗澹たる気持ちになれるのでオヌヌメ。これがアメリカか・・・)

がんばれよ。左利き人間たち!!


とはいうものの。
それもこれも右利き人間の無関心と無理解から来るのかもしれない。

すでに書いたように、わし自身は右利き。
このままでは左利きピーポーの苦労なぞは実感できそうもない。

とはいえ、せっかく防衛したコイルマティック杯ではあるし(ちなみに用意していた賞品のワインとトロフィーは自転車のかごに入れてたら盗まれちゃいました><)、次回から素直に左利きボールでボウリングするわけにもいかない。

ここは妥協案として、左利き用ベースを買って練習することにする。

2010年1月19日火曜日

My Favs⑦

昨日食べた焼き肉のせいで口が臭いです。でもバイトです。

昨日はMartin Luther King Dayでしたね。
ツイッターでもキング牧師関連のハッシュタグが流行ってますし、海外ではさまざまなブログでキングネタが取り上げられてます。

そんなかでいいなと思ったのが例えばコレ。
http://www.dwighthoward.com/blog/2010/01/18/honoring-dr-king-today/
NBAスーパースターのドワイト・ハワード(Orlando Magic)がマルティンルーサーへの自身の思い入れを熱く語っています。

キング牧師がいかに影響力が強いかがわかりますね。
ちなみにこのドワイト・ハワードはDQNも多い(失礼w実際は高学歴キャラも同じくらい多いです)NBAプレーヤーたちの中にあって極めて優等生な人間性で通っており、インタビューやプレスカンファレンスでの受け答えも素晴らしく爽やかで、個人的には現役でのthe most sportmanlike player in the leagueという印象です。
ブログも発言がイチーチ素直で面白い。お勧め。

あー、忘れそうになったけれども、
前回のエントリで最後に貼ったTwistaの“Hope”中に出てくるロドニー・キング氏の発言の個所の答え合わせですが、3:05あたりから、

~in the famous words of Mr.King "why can't we all get along?"~

てなフレーズが出てくるんで暇な人は確認してください(笑)

で、ですね。これがなんでキング牧師じゃなくてロドニーさんのほうなのかわかるかっていうと、
キング牧師は博士号を持っているので敬称はDr.になるはずだからなのです。
まあこのセリフ自体も有名なんだけど。



はいー。じゃあ、ちょっと今日は薀蓄ネタも思いつかないので久々にCDレビューでもやりますか。



Kenny Garrett "Songbook"(1998)


マイルスの薫陶を受けた最後のジャズアルトサックス奏者ケニー・ギャレットさんの98年作です。
ギャレットはジャズ系でもわりと人気だし(?)、Songbookはもう名盤扱いですよね。

僕も1回生のときからすごくよく聴いてます。
ギャレットの魅力は一言で言うと奔放なアドリブと作曲能力、そして豊穣な音色でしょう(一言じゃなかった)。
音色については好き嫌いがわかれるかもしれませんが僕はこの独特な感じが好きです。

彼のソロ作には良作が多いと思いますが、Songbookは特に、シンプルだけどグッとくるメロディが揃っています。得意のオリエンタル趣味にも傾きすぎていないし。
どっちかというと午前中に聴くアルバムかなと思います。
冒険に出たくなる感じ。

また、全編同じメンバーによるピアノトリオをバックにした演奏というのもいい。
まるでひとつのライブショウケースのような統一感です。
ケニー・カークランド(pf)、ナット・リーヴス(b)、ジェフ・ワッツ(ds)という鉄板メンバーで、アッパーでグルーヴィな高速4ビートからしっとりバラードまで、とにかく聴かせてくれます。

中でも特に素晴らしいのがケニー・カークランド(pf)のプレイ。
彼はこのCDが発売されてすぐに亡くなってしまうのです。
ここで聴けるのは最期の名演と言いますか、薫り立つインテリジェンスと超絶技巧が圧倒的です。

アルバムのハイライトはなんといってもM4「Sing a song of song」だと思います。名曲ですね。
たった3コードしか出てこないのに、カークランドのバッキングとソロは変化に満ちていて飽きさせないです。てか他のメンバーのリハモへの反応がやばい(笑)これは本当に頭がいいピアニストにしか弾けない曲だと思う。
テーマに続いてカークランドがまさにhoneysweet dishなソロをとってそれにギャレットのソロが続くのですが、ここでギャレットはspanish 8 note scale的なサウンドを用いて自身の作曲による優しくメロディアスなテーマを妖しく展開させ、容赦なく大暴れしています。

たぶんカークランドのソロ終わり付近にそれらしき不協和のモチーフがチラッと出てくるのでそれを引き継いだのだと思うのですが、それを自分のソロ終わりまで続けてしまうのがさすがっす笑

ギャレットの即興スタイルはかなり野生的で天才型インプロヴァイザーだと勝手に思っています。
他のアルバムで聴けるスタンダードの演奏にしても(Songbookは全編オリジナル)、アドリブのはじめ1コーラス程度はストラクチャーに忠実に吹く「フリ」をして、そこからは大胆に構成を無視してるのがわかるようなテイクがいろいろあります。
当然この人はかなりアウト、つまり調性から外れて演奏することをします。独特なアウト感も魅力の一つだな。僕の中では「アウトする三大ハゲ」といえばジョンスコ、ブレッカー(兄)そしてこのギャレットと決まっているのですが、その中でも前の二人が機械のように計算しつくされたインサイドアウトを行うのに対し、この人の場合は天性の野獣のように鋭いハーモニー感覚と反射神経で強引にインとアウトを行き来しているような印象です。
まあ勝手な印象ですが。

ジャズのアドリブって長くなれば長くなるほど飽きられやすくなり(この辺が敷居が高いと思われてしまう理由だろう)、起承転結的なものが大切になってくると思うのですが、確か1回生の終わりに僕が行ったライブでは、この人は最初の曲で40分近くずーーーーーーーーーーーーーーっとアドリブしてました(しかも超高速スイングビート上で)。
それでもまったく飽きませんでしたし、40分も経ったのに気付きませんでした。
すごい体力とアイデアですよね。
たぶん理数系インプロヴァイザーだとここまではできんやろって思います。

そんなところも含めてかなり好きなオッサンの一人。
ギャレットSongbook知らなかった人はぜひ聴いてみてください。

2010年1月13日水曜日

えいごのじかん②

卒論提出後に買ったルーマンの社会システム論だが、上巻にて早くも挫折しそうだ。
むずかしすぎる。
だけどザックリとはわかるかな。
やっぱ生命体の仕組みからの連想が根底にあって、基本的にシステムの自己生成/自己組織力に信頼を置いていてそこはちょっとハイエクっぽいんだけどルーマンはさらに踏み込んでイチーチ細かいところをネチネチ詰めていく感じ。
というファジーな理解じゃダメなんだろうが。

けど直感的に納得できる部分もあって、それはコミュニケーションについての項で、
「人間はシステムの構成要素ではなく、その環境である」という有名なテーゼ。
ここはルーマンが、社会を人間から切り離されたところで自足している存在だと見なしている!と一番叩かれている場所でもあるわけだけど、人間排除の正否ないし是非は置いておいても、社会的なものとコミュニケーションとを等置して、コミュニケーションは話者の意図によって操縦されるのではなくて、独自の理論に従って組織化されていくとする主張自体は、日常感覚からしてもそれほど異様じゃない。

考えることと語られることが食い違ってしまう、
考えていたことをうまく言葉にできなかった、
話の流れに乗ってついつい思ってもいなかったことを口にしてしまった、、、

みたいなことは誰しもあるでしょ。

この前の日曜日のこと。
ハシモト打ち上げがマルコス・バキルーハンの別邸で行われたのだが、
そこでわしは場の流れに任せてここぞとばかりに下ネタを解放しつづけてしまった(cf.新宴会部長)。。
自分でも最低だったと思うが反省はしていない.
多分あの場で本当に喜んでいたのは性太郎だけだろう。
「流れ」ないし「ノリ」からコミュニケーションの主体は自由ではあり得ないのだ。

また、そこからさらに進んで、日常に溢れるコンベンショナルな言葉遣いというか掛け合いのようなものもルーマンのこの主張と共鳴するだろう。
「ちょwwwww」「誰馬」「サーセン」「自重」などなどの2ch/ニコ動ジャーゴンの数々を考えてみれば良い。
それらは主に、特に意味もなく単に条件反射的に生成されるだけだ。
まさにオートポイエーシスを想起させるではないか。

人間はシステムの構成要素ではなく環境である。

で、それだけでは飽き足らず、英語でもそういうのあるかな、と考えてみたんだが、

あんま思いつかなくて(詳しい人はほかにもオセーテくれ)、
唯一思いついたのが


「Yo he's a bad mother....」

「Shut yo' mouth!」


という掛け合い。
もちろんmotherに続くfxxkerを予期して
「黙らんかい!」っていう会話です。

この掛け合い、北米の英語話者相手ならほぼ100%の確率で成り立つ・・・かは知らんが、結構な割合で洋画や洋ドラマなどで聞くことができる。

ということで今日はmotherfxxkerの話です(前フリ長っ)。

この
"motherf..."
"Shut yo' mouth!"
っていう掛け合い、
生みの親は『サウスパーク』仕掛人として有名なかのアイザック・ヘイズらしい。

一人の個人があれだけ(どれだけだよ)社会に浸透した定番の掛け合いを生み出したなんてなんともすごい話じゃあありませんか。

で、そのアイザック・ヘイズと映画『Soul Men』で共演しているのが先日惜しくもなくなってしまったバーニー・マックのオヤジなんですよ。

もうバーニーさんはね、わしの英会話の師匠なんよ。
っていうくらいこの人の英語はかっけーしマネしまくった(それに面白い!)。

知らない人のために説明すると、バーニー・マックは、エディ・マーフィー、クリス・タッカー、クリス・ロックなんかと同列に位置するいわゆるスタンダップ・コメディアンです。

"Bernie Mac just says what you think but are afraid to say."
(バーニーマックは、みんなが心の中で思っていても口に出せないことを代弁してるだけ)
というのが決まり文句で、過激ながらもリアルでロイクーな語り口がバーニーの身上でした。

そんな彼がよく使っていた言葉がmotherfxxker。

あまりにもMFを連発するので、
ネ申映画『キング・オブ・コメディ』(ほんまDVDが擦り切れるくらい見たわ)の中で、バーニーが使ったmotherfxxkerの回数をチェックしたことがあるのだが(←ヒマ人)、わしの2006年の日記帳によると42回、motherfxxkingまで含めると実に65回も言っていた!!

また同映画の中でバーニー自身がこの言葉をネタにしている。

「白人の友達に”なんで黒人はMFばっかりつかうんだ?”って訊かれたんだ・・・」

というフリから始まり、

「MFは、黒人が昔から使っている慣用表現だ。だからMFを怖れることは無い.これは代名詞で、人や場所、物事を指す」と「MFという言葉で黒人が実際に意味するところ(=たいした意味は無し)」を解説し、
「人の集まる場所でblack guysが喋っていたら、会話の中に32回くらいMFが出てくるはずだ。普通の英単語は2つぐらいしか出てこないのにな。それでも会話はきちんと成立するんだよ」と言いながら、会話例を挙げていく。
この会話例がまたリアルなんだわ。

とりあえずこの『キング・オブ・コメディ』は英会話教材としてもオヌヌメであーる。

んで、確かにmotherfxxkerの本来の意味は最低の侮辱的表現だ。
多分日本の人口にこの言葉を傀儡させた張本人はlimbbizkitのボーカルであるフレッド・ダーストだと思うのだが(わしも彼の口を通してはじめてMFをきいた)、確かに彼はMFを悪い意味で使っていた!悪いやっちゃ。

しかしわしの実体験から言うと、バーニーの解説のように、単なる代名詞や強調表現として使われることが大半な気がする。
事実、前回の英語の時間にも登場したMartinは今のように寒い季節になると、公衆の面前でも
「Darn!! It's cold as a motherfxxker!!」と大声で言う。
(関西弁で言うところの「アホみたいに寒い」といったニュアンスか?)

また、motherfxxkerは素晴らしい/好ましい人物に対して愛情をこめて使われる言葉でもある。
プリンスの"Sexy M.F"という曲があるのをご存知だと思うが、
殿下は同曲中で「U sexy motherfxxker(このセクシーなMFが!)」とイタズラっぽく同語を使っている。
しかし決して悪い意味じゃないことはわかるよな?

ヘイズが生み出した件の掛け合いもこういう感じの、クールかつコミカルな用例だと思われる。

まあ、motherfxxkerなんて言葉は日本人は積極的には使えないのだが...
なんか使ってもお里が知れてるって感じになりそうだしな。
それにわしらはバーニーでもアイザックでもないから、連発したらギャングスタ・ビアッチだと思われるのがオチだろ。

しかぁし!
あなたの隣の仲が良いブラザー(シスタ)が「マァファカッ!」って言っても必ずしも攻撃的な意味じゃないということは覚えておいて損は無いんではないかと思うのだ。
むしろ愛着を込めた表現である可能性のほうが高い。
(MFに限らずswear word全般って親しさの証だとも思うのだが、どうか)

で、彼(彼女)が「He's a baaaad mother....」と言いかけたらすかさず

「Shut your mouth!!」で返してあげよう。


よし。今日は英語の話で終わったぞ。

つづく

2010年1月11日月曜日

オッサニズム宣言

・・・
ジム・ジャームッシュの映画『コーヒー&シガレッツ』の中でイギー・ポップはトム・ウェイツにむかって「俺たちはシガレッツ&コーヒー・ジェネレーションだよな」と語りかける。

2010年代に入った今、映画の中のタバコは私立探偵やブロンド・レディの粋な小道具じゃなくて、トラブルまみれのシングルマザーが台所でバカァー吸う、とか負け犬感を増長させる小道具になってしまっているように思う。

そんな時代にあってさえ、「シガレッツ&コーヒー」という言葉が良い意味で似合う左京区在住の天才ギタリスト宮●哲夫とわしが友人関係であることは、これから書くことと無関係ではない。


わしはなぜか自分より若い人と話すのが苦手だ。
実の弟とすらまともに会話ができない。
サークルの後輩とも、話が盛り上がったためしがない。
いや、先輩や同輩の皆さんも、「お前とは馴染めないわ」とか思っておられるかもしれないですけれどね。

何が言いたいかというとわしは生まれたときからオッサンなのではないかという可能性である。
わしが、自分はオッサンなんだなぁ、と思うのは、(ジャズ系以外の)普通の音楽好きと比べてやたらジャズが好きなのを自覚するときである。

ジャズはリバイバル流行がキテるとか言われてるが、実際CDを買ってる奴はそんなにいないと思う。
みんなカフェでカフェるときやラーメン屋でラーメニングするときの心地よいBGMぐらいに思ってるのさ。
ジャズ系にいたらわかんないけどね。
きょうび西陣VINCENTのママも、「ジャズは終わったよ」とか言いながらナベサダの『カリフォルニア・シャワー』なぞかけてる。

わしは1987年生まれだが、初対面の同年代と話すときジャズ好きを公言することはまずない。
まったく話が広がらないし、オッサンぽいと思われるのが嫌なのだ。

だが、誰がなんと言おうと、ジャズ観照は快感である。
ジャズを聴く快感は、ロック、ラップ、R&B・・・その他のポピュラー音楽を聴くのとは全く違う。

ちがうけどここではその快感をのべるのはよしとく。
長くなるから。

要するにジャスは、失礼、ジャズの名演は、筆舌に尽くせない。

ただ、気持ち良い。

評論の入り込むスキは(本来は)ない。

ただただ、体に染みるんだ。

メッセージなんてモノはない。

ただひたすらグルーヴィなんだ。

あえて言うと、わしはジャズを聴くと、自分がちょっと不良っぽい、アウトローになった気はつかの間なっているかな。
この辺が、わしがジャズを聴いていてオッサンだな、と気付くところでもあるんだけど。


わしがジャズを聴くようになったのは、高1の暑い夏。
ヒップホップ大好き少年だったわしは、ある日Pharcydeの"Oh Shit"という曲のトラックに耳を奪われた。
そこにサンプルされていたのはDonald Byrd (tp)の"Beale Street"だったのだが、ジャズを知らなかったこい少年にとって、まじでこれのカッコ良さは、肉屋のオヤジに鶏と間違えられて捌かれそうになったほどだ。

そのオリジナルソースをゲトってからというもの、バード、ハバートそしてリー・モーガンの日々。

そう実はわしのジャズ原体験はトランペットだったのだ。意外だろ。

まあマーカスミラーとかその前から好きだったし、ベースも弾いてたからフュージョンとかファンクとか聴いてたんですけど、全然高校の友達と趣味が合わなくて。。
当時はメロコアとかスカパンクとか全盛でみんなハイスタマンセーだったのに、一方わしはと言えば、ウォーキングベースラインの作り方がわかったとか、マーカスのこれこれの曲が弾けるようになったとか言って喜んでいた輩なのだ。

音楽仲間とかできるわけなかったー。
(ヒップホップとかR&Bの話をする友達はいたけどな)

しかしそんな高校時代、同い年で唯一ジャズを聴く友達がいた。
渡辺有希(仮名)。

そこそこ賢い公立高校のバスケットボール部員だった彼女とわしは、県大会の会場でテーブルオフィシャルが同じでたまたま出会った。

男子校に通っていたわしは当時ほとんど女性に免疫が無かったが、渡辺とはどういうわけか籠球でなくジャズの話で意気投合した。

父親の影響でジャズを聴くようになったという渡辺とわしはCDを貸し借りし合う仲になり、試合会場以外でも会うようになった。
お互い、周りに共通の趣味を持つ知人がおらず厭世観を感じていたのか、わしらは異常に気が合った。

だが渡辺は当時わしをメンズとしては評価していなかったようだ。
学年が上がってもわしらは友達だったが、会うたびに渡辺は新しい彼氏の話をした。
共通の知人たちは渡辺ヤリマン説でしきりに盛り上がってた。

ははは。しかしわしが見たところ、どうやら渡辺は性に関して奔放というより、惚れっぽい気質だったようだ。
その証拠に、わしは当時渡辺とそんなムードになったことは全くなかったから。

高校を卒業しわしは広島を離れ、渡辺とも疎遠になった。

どーしてんのかなーと思うことも無くなっていたが、最初に再会したのは卒業から2年後。
ありがちなんだけど、広島市の成人式で会ったのね。
わしは渡辺がまだジャズを聴いているというのを知ってすごく嬉しかった。

出身中学校も違うし、そのときはひとことふたこと交わしてそれだけだったんだけど、さらに2年を経て、どういうわけかこの前年末に帰省したとき二人で会うことになった。
ちょっと気まずい感じで夕食をとりながら近況報告したらすっかり昔の空気に戻り、相変わらずのジャズ談義で盛り上がった。

店を出てから、せっかく酒も飲めるようになったんだしということで、渡辺が教えてくれた流川のジャズバー「サテンドール」で飲みなおすことにした。

お酒に強い渡辺は飲めば飲むほど素敵な女になっていった。
それに顔立ちも派手で背が高く、欧米にかぶれたわしから見ても身のこなしがイカしてる渡辺は、ほの暗い間接照明の中スツールに腰掛けてグラスを傾けてる姿が最高にサマになってた。
わしも調子に乗って安バーボンのボトルをおろした。

けれど夜は短く、そんな渡辺とわしのつかの間のロマンスも、粉雪ちらつく流川の曙の中に消えていった。

別れ際、アリスガーデンを歩いて一息つこうと座ったベンチで渡辺が口ずさんだ、"It Could Happen To You"のメロディが耳にいつまでも残った(今も残ってる)。

彼女はジャズが好きな、惚れっぽい、素敵な女。
4月からは市内で小学校教諭になるという。


わしはジャズを聴きながら大学時代を過ごし、またひとつオッサンになったんだな。と思った。

わしは今、ジャズの話を交わせる仲間に囲まれている。
ジャズ系の人ってみんな大学生だけどどこかオッサン(オバサン)で、垢抜けてないけど不良な感じなのかもしれない。
ありがとうございます。
・・・

2010年1月8日金曜日

龍が如く10 made to be..

完璧とも言えるペース配分で卒論を完成させ、今日提出してきました。

研究室に行ったら、某先輩のD論印刷用の紙の残りを使わせてもらえて、無駄にハード面でのクオリティが上がった。

しかし内容も、自他ともに認める本格派だ!

Distinct Element Methodという、建築工学で実用化されかけの構造解析/挙動シミュレーション法の伝播過程と関係行為者の社会行動を微視的に追跡して、それをアクターネットワーク理論ていう社会学のツールで分析して、最終的に「理論」「モデル」「現物」という工学的知識のレイヤー構造を浮かび上がらせて、この特殊な事情を踏まえるとエンジニアの行動分析のためにはアクターネットワーク理論をちょっと変奏しないといけないし、工学知識の効率的な実地応用のためにはレイヤー構造に自覚的じゃないといけないよねっていう提言を行うという感じになってます。

最後書いたときはだらだらだったから、あまり達成感とかどーん!ってあるわけじゃないけど、下準備の調査はかなり頑張ったし結構満足。

あとは試問がんばろ。


で、今日はナードな大学生がとる卒論提出後の行動の定番、学術書大人買い@生協しましたw


・ルーマン『社会システム論』上下 
・フラー『ナレッジ・マネジメントの思想ー知識生産と社会認識論ー』
・河本英夫『オートポイエーシスー第三世代システムー』
・小松 丈晃『リスク論のルーマン』
・松本三和夫『テクノサイエンス・リスクと社会学』


全部で20kちょい行ったww
引っ越しを月末に控えた人の買い物ではないな。

でもスッキリ。お金使うの気持ちいい。

これから3ヶ月は、今まで知ったかぶりだった理論社会学をちゃんとやって、ネットワーク分析とかメトリクス系の文献読んでもちゃんと意味わかるようになりたい。
システム論は熱い!
サイバネティクスとかオートポイエーシスとか、用語がカッコいいし、計算機科学とか今流行りのアーキテクチャ学派との親和性も高いし。
菊池なるよしの次は、ジェンダー論。レム・コールハースの次は、システム。

修士での研究の方向性だが、あまりに可能性の幅が広すぎて最近は目移りしてしまう感じになってきた(一時あまりに狭いと感じた卒業研究とは大違い)。
時間的余裕が一気に生まれたので、今のうちにいろいろ本とか読んでどれが向いててどれが向いてなさそうかアタリをつけておきたいわ。