2012年9月30日日曜日

天竺帰りの模倣という症候

レファレンスがやや古いし、書こうか書くまいかずっと迷ってたがそのうち忘れてしまいそうな思いつきがあるので記録しておこう。














JJ10月号の一角を占める特集に、「9月入学スタイルはこう真似しる!!」なる記事がある。



9月入学、すなわち帰国子女的な装いに対する憧れが、うら若き乙女たち(お姉系JD)の間では興隆しているらしい。

内容を深く記述してもしゃーないが、「9月入学スタイル」とは、9月に大学に入学してくる学生=帰国子女枠裏入学生のような格好、つまり日本人でありながら簡単にいえば洋モノのファストファッションなどをうまく取り入れたエスプリ感あるガイジンぽさを備えたヤツらの服装を指しているようだ。


この記事は面白いのは、20世紀の人文科学における女性性についてのひとつの仮説を補強するエビデンスであるように思われるからだ。

単なる欧米的な価値観や生き方に憧れる脱亜入欧的ないし白欧コンプレックス的、ないし西遊記的(同居人I.Uさん発案)なイデオロギーなら明治時代からあったわけだし、今でいうミランダカーないしオリビアパレルモないしニコールリッチーのような海外セレブに対する憧憬も非常にコンベンショナルなものだ。

しかし9月入学スタイルが面白いのは、そうした西欧近代的なものに対する直接的な憧れを表現するのではなく、西欧において"啓蒙(enlightenment)"を受けて帰ってきた日本人を模倣することが是々非々で推奨されている点だ。

つまり、転移のコースが脱臼しているのである。

帰国子女ではない人物が帰国子女ぶるという行為は、「女は存在しない」というジャック・ラカンの言葉を思い起こさせる。

フロイト派の精神分析理論において、「女性」の本質は表層的な見かけにあり、「男性」の本質は内面的な機能にあるとされる。
女性の本質は見かけにしかないので、精神分析で一般的な解が得られるような女性性の本質なるものは存在しない、ということをラカンはいみじくも断言したのだ。

実際には帰国子女でなくとも、帰国子女"ぶる"ことに快楽を覚えるという性向は、時限的なペルソナをまっとうしていくJDたちの、雑駁に言って差し支えなければポストモダンっぷりを強烈に体現してはいまいか。


データベース消費と動物化が本当に時代の流れなら、愛されコーデが世界を回す♪というのは強ち嘘じゃないかもと思わせる。



今にはじまったことではないにしても、経済のグローバル化の中で、「海外」、「グローバル」、「国際」といった、ようは天竺的(I.Uさん発案)な属性を持つことへのプレッシャーは凄まじいものになっており、もはや社会全体が神経症に近い状態になっているのではないかと思う。
その結果「9月入学スタイル真似しようず!!」のような症候が現出しているのではないかね。

帰国子女のように国際的な経歴を持つことが結果的に現代の資本主義社会で成功することへの大きなアドバンテージになると多くの人間が認識しているからこそ、こうした表象がメディアに出現するわけだし。


そしてセレカジの興隆はコンサバ系JD雑誌の代表格ともいえるJJの内容すらゴシガ色に染めようとしているのか。。しかし、これはずっと前からの潮流かもしれない。わからない。

2012年9月24日月曜日

亜米利加日記

写真で振り返るワシントンDC出張

ワシントンDCに行くのは初めてだったのだけれども、思っていたよりずっと綺麗で安全な街という印象で、快適でした。
地下鉄もとても簡単に乗れて便利で、足にも困りませんでしたし。




そんで、話にはきいてたけどアフリカ系は多いと思った。
米国全体の人口に占めるアフリカ系の割合が12%で、ワシントンではそれが60%なんだから、確かに多い。これは実感できるレベル。
それだけに町中でebonicsが飛び交っていて、愉快である。

そして当然ブラックカルチャーも繁栄している。
そういえばゴーゴーはワシントン発祥だし、最近ではメイシー・グレイ生誕の地としても知られる。

北東部のU. Streetが震源地となっているようだが、初日にはジョージタウンの歴史あるクラブBlues Alleyに行ってみた。


目黒にも同名のクラブがあるが、本家のこちらはかなり隠れ家的雰囲気で、目抜き通りから一本裏に入った路地にある、渋い空間であった。

テナーサックスの生ける伝説ジョー・ロバーノのショウケースで、若手を含めたツインドラムの新バンドを率いてのライブであった。
音響は生音感が強く、荒々しさが伝わってきましたな。
バンドのベーシストは若手No.1女流プレイヤーのエスペランザ・スポルディングであったが、flashyな超絶技巧もさることながら、クリスピーな出音で一節一節のニュアンスを余さず伝えてるのが、さすがだと思いました。




うまく撮れてないけど、それぞれジャズレジェンドの名を冠したソウルフード的料理を出してくれるんですなーこれはラムゼイ・ルイスのチキングリル。
バター&ガーリックがギトギトで、うまいww


そしてこの夜図らずも隣席となったのが、プロピアノプレイヤーのAbebi Stafford氏だった。
正直彼のことは知らなかったし、もう演奏の第一線からは退いているらしいが、初対面の日本人の私にも私生活の悩みをいろいろ打ち明けてくれるなど、なかなかのナイスガイであった。
CD買うわ。



お仕事の会場は全米科学アカデミーNational Academy of Sciencesでした。
まるで博物館のようなかっちょいい建物でした。




今回の会議は、国立科学財団National Science Foundationから助成を受けているイノベーション政策研究のプロジェクト代表者たちが集う年次集会なのでして。



⇧地味に、修士課程の最初のゼミで紹介した論文の著者w




⇧炭素貯留のコスト推移を予測するモデル。今回一番おもしろいとおもった。

全米から集まった、カッティングエッジな研究をしている研究者たちとみっちり有益な意見交換できましたよ、ということにしておきます。




(なんのこっちゃ的写真。)



そして会場の外に出るとこんなのがいきなりあったりするんですねー












最終日は在米の諸々の関係者たちと食事会だったりもしたのですが、そのあとまた性懲りもなくBlues Alleyに戻ってきてしまった!



何しにきたんだっけ感はあるけど、これまた伝説のビブラフォン奏者ロイエアーズを見れたので、満足。
ほぼフリーソウル的な演奏内容ながら、職人的リズム隊に支えられた漆黒のグルーヴの中で自由奔放に鉄琴をシバきまくる大御所は非常に楽しげでした。

この日はなぜか客がほぼ全員黒人で(特にアジア系はわれわれのみ)、途中、あたかもゴスペルのライヴのような超リアルなコール&レスポンスが起こったりしてとってもロイクーな空間でしたな。ソウルミュージック
なかなか、味わえないね。こういうの日本では。






ワシントンDCは年内にももう1回は出張あるかなーというレベルで、これからも何回も来る予定ですが、今から楽しみです!!!!





2012年9月6日木曜日

ウマのケツ

嬉しかったこと。

今日は、こないだ新しくスーツを仕立てた洋服屋に、完成したスーツをとりにいったのだが、お直しチェックで試着をしているときに、店員さんに靴の手入れ具合をめちゃめちゃホメられた。

やはりわしの無敵☆愛され通勤3足ローテーに死角はなかったということだ。

日々のクリーム塗り込みと乾拭きで磨き上げられたコードヴァンの履きジワと輝きはまじで新品を凌ぐと思う。

見よこのGOKIBURIの如き輝きを。(これは履きおろす前に撮った写真ですが汗)



お靴の手入れに凝りだしたのは靴屋になった高校時代の同級生に感化されたからだが、全く手入れをせず履き回しもせずガンガン履きつぶしていたのも今は昔である。

セールストーク的側面を割り引いたとしても、洋服屋さんにホメられまくったということはもう、オールデンとかクロケットとか始めても、怒られないとこまできたんじゃないですかね。

前は先っちょが尖ったロングノーズの靴がかっけぇと思っていたけど、最近はずんぐりした、アメリカを感じる形が好きだ。


関係ないがザンギエフに感化され、セカンドバッグ通勤も始めた。
オッサンの階段を順調に上っている。

2012年9月3日月曜日

夏休み読書②


夏休みの読書感想文2本目




環境経済学のひとつの流派の理論体系を示した書で、初版は1998年であるが、こちらは今年出たばかりの第2版であり、近年のさまざまな環境問題をめぐる議論の展開を踏まえて大幅な改稿がなされているようだ。
経済学は本来、希少性のある財やサービスを対象とする学問で、希少性があるものに価値が発生し、価格がつくというアイデアが原則である。
しかし経済活動の結果、ゴミや有害なガスなどが発生し、将来の経済活動にネガティブな影響を及ぼすということが起こる。ゴミなどには希少性が無いので価格はつかないし、従来の経済学のスコープではとらえられない。それでもたとえばゴミの処分場の確保にはお金がかかるし、大気中のCO2濃度の増加で農作物が育たなくなったり都市部における電力使用量が増えたりするなど、これら希少性のない廃棄物や排出物も経済活動に対するインパクトは持っている。
このような、従来の経済学の範疇の外にあるが、実際は経済活動に対してマイナスのインパクトをもたらす要素を外部不経済と呼ぶ。この外部不経済をいかに経済学の理論に算入し、限られた自然環境の中に埋め込まれたものとしての人間社会の経済活動を定式化するかということを考えるのが、環境経済学である。(うううむ、かなり雑駁な説明だ)
当然環境経済学にもいくつかの流派があるのだが、今いちばん主流と言えるのが、新古典派の経済学理論に依拠したヤツで、廃棄物の処理にかかるコストを、「廃棄すること」に対する一種の機会費用と考えて廃棄者に負担させることで外部不経済を内部化するという考え方を基本にした一派である。
まぁ京都議定書が一番有名だろうが、キャップ&トレードによるさまざまな有害ガスの排出権取引の仕組みも、基本的にはこの新古典派の環境経済学をもとにしたアイデアであるし、最近では生物多様性の領域でも、オフセットの考え方が導入されようとしているらしい。。

ところが、この本の著者の外部不経済の算入のやり方は全く違う。
処理にかかる費用の分、有害な廃棄物は、「負の価格を持った財」(=バッズbads)であるとして、そこから理論を組み立てて行くのだ。
マイナスの価格というのは経済学ではかなり型破りな発想らしく、学会における出る杭たたきエピソードもいろいろと書いてあったりもします。
それでもうまくいくという数学的な裏付けはかなりしっかりとあるようで。

温室効果ガスの排出量取引制度がポシャった(といって良いのか?)今、市場メカニズムを用いた環境ガバナンスは、あるいは、新古典派からの大きな転換点を迎えているのかもしれない。
このgoods&bads理論は、Hデイリーらの所謂エコロジー経済学一門に比べても、よりポリシー・レリヴァンスが高いような気がする。

いずれにせよ、研究者になるならこういうレベルの仕事をしたいと思わせる内容であった。
一見トンデモな出発点から緻密に公理系を組み立て、経済学に対する非常にインチキな理解と知識しか持ち合わせていない私のような一般人向けの本をclear cutに書いてしまえるのであるから。






この週末は、学部生のときからお世話になっている若手研究者コミュニティの合宿に行ってきました。
お仕事があったので、3日間の日程のうち、2日目からの参加でしたが。
ANTとかSSK、その他の人類学、社会学的手法についてあーでもないこーでもないと延々議論して。。
こういう純アカデミックな会は久しぶりでしたので、やはり楽しいなと、思いましたよ。