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2013年2月9日土曜日

セクロスとコミュ力

今日は代沢恋愛総研フェローとして、内藤理恵子さんブログのこの記事をシェアしたい。


性経験と社会性って関係あるの?


この記事でも取り上げられているが、最近
「コミュ力つけたいいうんじゃったら、ええけはよセクロスせぇやチンカス童貞らぁがたいぎいのぉ!!!!!!」
とおっしゃっている宮台シンジ先生(代沢恋愛総研本社aka DAIZAWA HOUSEの近くに住んでいるらしい)は元々は90年代末に、
「ヲタクもナンパ師も社会グループという意味では同等じゃね?そこに変な階層関係見出す必要なくね?」
と言った人であり、
有史以来存在したはずのリア充/非リア充のハイアラーキーを脱構築し、サブカルおよびサブカル野郎たちに光の道を示し、経●省主導の「クールJAPAN」の仕掛人ともなった大先生が、ここにきてセクースを社会性を獲得するための通過点として是々非々で推奨しているのは、考えてみれば意外だ。

セクースがコミュニケーションの、というか、誰か他の人と繋がるためのいち手段であるのは間違いないとは思う。
こいつをひっくり返すと、常に、とはいわないまでもセクースには潜在的にオルタナティヴなチャンネルが存在するということになる。あくまで機能主義的に考えるとね。

つまり、異性間でもセクースしなくても成り立つ関係だってあるじゃろういうこと。
わしだって知り合いの女性の大半とはセクース無しで関係しているわけで、あんま社会性の必須条件じゃないと思うんだが。

むしろ個人的には「いかにセクースなしで、男性性を排して女性と向き合うか?仲良くなるか」というのもチャレンジングだし、面白いと思うし、社会的に学びも多いと思う。


ただなー、まあ、逆に「セクース無しでは成り立たない」という関係があるのも事実で。。
社会学でも親密圏という非常に難しい研究領域があるわな。。。まさに機能主義に正対する。

ということで、宮台的な
「恋愛しないとコミュ力つかねーんだよバーカ」
っていうテーゼを超えて、

恋愛からしか学べないこととは何か?

というのを次の代沢恋愛総研(DLI)の研究テーマとして提案したい。


2010年8月19日木曜日

京都でお盆

第三世代のサイバネティクスを通過したオートポイエーシス的人間観では、人間は自律的な学習システムとして捉えられる。

わたしたちは絶えず、自分の外にある環境から入力を受けて学習する。
ここでの学習とは情報をパケットのように受け取ることではなく、システムの作動の仕方を更新することだ。
そしてわたしたちは学習の結果として内なるシステムの作動の仕方を変え、環境に対する出力を変化させる。
環境もその影響を受けて様態を変化させる。
したがって人間というシステムは、環境の構成要素でもある。
複数の人間同士はお互いにとっての環境を構成している。

学習という語を用いると、いわゆる学校や仕事場での勉強的なイメージを持ってしまうかもしれないが、それ以外にも、あらゆる経験から学習は発生するし、システムも変化する。
わたしたちは日々の楽しいこと、嬉しいこと、腹立たしいこと、悲しいこと、、などから感じ取り、考え、記憶し、そして忘れてゆく。
この変化のプロセスは自律的なもので、時間とともに進み、止めることはできないし、逆行もしない。

それは生物が絶えず代謝を続けることと似ている。
人間の細胞は6〜7年で完全に入れ替わると言われる。
よく「ある人の脳を入れ替えても、その人は同一人物か」というような存在論が話題になるが、そのような大それた問題設定をしなくとも、われわれのは身体は常に代謝を繰り返し組成を変化させているし、その変化はマテリアルな次元に留まらず、システムとしてのふるまいにも現れるのである。

一時非常にハマっていた趣味に対する興味を失ったり、あるいはかつて非常に親しかった人と数年ぶりに会ってみると一切会話が噛み合なかったり・・・といった現象はわかりやすい例だろう(それぞれの逆も然り)。
わたしたちが興味の対象や付き合う相手を絶えず変えていくのは、システムとしての学習と、環境の変化の必然的な帰結なのだ。

おそらく、ずっと変わらないものなんて何もない。
だとしたら、しばらく会っていなかった人に再会したときに、その人は別人であると感じることがあっても当然だし、自分も相手にとって別人であっても何の不思議もない。

まあだから、諸行無常であることは、悲しむべきことではない。
そのときどきによって自分にとってベストなものは違って、時間が経って何かがベストではなくなっても、それがかつてはベストだったことに変わりはないのだから。
貨幣というメディアの機能が象徴するように、個人個人は究極的には機能的に等価な存在として、代替可能であるからこそ、社会生活を営んでいくことができるといえる。

もちろん、いつまでも仲の良い友達や、一生かけて打ち込める何かというのもあるだろう。
しかしそれらが可能なのは、システムとして変化していないからではなく、複数のシステム、あるいはシステムと環境の相互の入出力がバランスを保ったまま変化しているからにすぎない。
したがって、婚姻関係など、感情的な固着をともなって長時間持続する人間関係や、終身雇用などの社会制度は、きわめて強い不確実性の下に置かれていることがわかるだろう。
こうした不確実性を吸収するためには、絶えざる変化の中でも自己を同一のシステムとして同定する再帰的な仕組みが必要になる。
(それは往々にして困難である。不確実性を吸収しきれず、離婚する夫婦があとを絶たなかったり、新入社員が3年でやめたりすることからわかるように)

絶え間なく様態を変化させながらも、同一のシステムとして認識されるにはどうすればよいのだろうか。
否、実際にわれわれが社会生活の中で自己同一性を保持し得ているという事態は何を意味するのか。
いろいろな解があろうが、わたしはいきおい、人間は、自分が認識する自らの状態と、ほかのシステムからの入力から判断される、「他にとっての自己」の姿とを重ねあわせることで、システムと環境の境界を画定していると考える。
もっとも、システムは作動的に閉じているので、他のシステムの認識を完全に把握することはできない。
そもそも自己の状態をある時点に固定することは、システムを動態として認識することを放棄することである。
したがって完全なコヒーレンスは期待できないが、少なくともこの動作によって当初の不確実性は縮小されよう。

これがいつもできていれば良いのだが、長い時間を経るとどうしてもシステムの内側に投射される像と、実際のシステムの像とはズレてくる。。
長い時間的なインターバルを経てシステム同士が再びコミュニケーションするときの不確実性を吸収するしくみは可能だろうか。可能ならば、どのようにして可能だろうか。

この答えはわたしにとって未知だが、ひとつの方向性としてトポフィリア的なものにヒントがあるかもしれないという気はしている。


・・・

広島と京都に帰省していました。
広島では地元で就職した人々に会ったり、元ジャズ系の人たちと山口で遊んだりしました。
京都ではたまりたんの先輩たちと久々に集まり、五山の送り火を見たり、また、馴染みの面子でビアガルテンに行ったりもしました。
とても良い「夏休み」という感じでした。
たまにでいいから、まだまだこういうのやりたいなー

京都は人が集まってくるから好きなのか、京都が好きだから皆集まってくるのか。
本格的ディアスポラが起こればわかるだろう。


来週はついに国際学会ウィーク!
がっきーの「ガキの使いやあらへんで!:5日間スペシャル」が待ちかまえる。
しばらくロジスティクスの準備に明け暮れる。



夏が終わるねー
このブログももうちょいで開設1年。

2009年12月2日水曜日

可憐カーペン太やべぇ

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  \_|    ┌────┐   .|       ∧∧
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄        (  _)    俺に彼女がいないことで
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_,   )
            /             \  `
           | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
             ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄

     |           .( ( | |\
     | )           ) ) | | .|
     |________(__| .\|俺の代わりにだれか一人、彼女とクリスマスを過ごせる
    /—   ∧ ∧  ——-\≒
  /      (    )       \
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
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   ∧∧
  (  ・ω・)
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                            俺はそういうことに幸せを感じるんだ
  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/


おやすみ

2009年11月24日火曜日

play da bass 4 u.

人生最後のNFが終わった。

いろいろあったけど、ひとことで言って、サイコーに濃厚で楽しい11月祭でした。
残念だったのは、ピン芸のとき時間が足りなくて予定していた曲を演奏できなくなったことと、Fam FairのMCでSuemitsuの名前を二回も間違えたことです(Suemitsuごめん!)。

軽音茶屋のステージって、なんかお気楽な面もありつつも他のライブと違う特別な感じがします。
ひとえに西部講堂という場のせいなのかもしれないですが。
もう来年は無いのかと思うと感慨もひとしおでした。

とりあえず、一緒に演奏して、音楽への愛と才能をシェアしてくれたみなさんに感謝してます。
もちろん自分以外のバンドもすごくカッコいいのがいっぱいあったし、懐かしい面々が集結した飲み会も楽しかった。
あと、裏方でいろいろやってくれた後輩たちや幹部のみんなとかありがとうでしたまじで。

今年は軽音茶屋×3とパモジャステージ×1で合計4コしかコンボなかったんですが、それだけに自分が本当に好きな人とばかり出来て、密度の濃い幸せな時間を過ごせました。
前にも書いたけど、才能ある人々と一緒にいろいろチャレンジしていく過程って素晴らしいと思います。

なんかジャズ系/軽音で良い仲間に出会えて本当に良かったと思う。
そんで、それが音楽をハブにした出会いだったというのが特に良かった。

僕は大学に入るまではひとりで楽器をやっていた人だったので、まったく人と合わせる楽しさとかを知らなかったのですが、ジャズ系に入って、最初にkimataさんとかに誘ってもらったバンドとか、あるいは一回生セッションとかで「せーの」でみんなで一緒に音を出した瞬間は今でも忘れられない感動を与えてくれました。本当に、当時の僕はニヤけちゃっておりました。
で、今改めてその初期の喜びを思い出したというか、10月にP.Waveの練習をしていたときくらいから、だんだん「みんなで音をだしている」という状況だけで楽しいと感じるようになってきてですね、いよいよ音楽が面白いと思ってきておりまして。

だからちょっとループステーションは卒業しようかな・・・とも思ってます。

違う楽器と音をぶつけ合うことでしか生みだせない、ハーモニーとかグルーブというものを一緒にずっと作ってきた人間同士というのはなかなか普通の人間関係とは異なる距離の近さを持っていると思うし、こう感じるのは僕だけかもしれないけれども、音楽を通じて知り合った先輩後輩同回の皆さんには独特のintimacyを抱いてしまいます。

(フルバンやったらカポーがごぼ②できるというのもある意味では当然なのかも)

Jazz系には、というか軽音には、プレイヤーとしても人間としてもカッコ良い人がたくさんいるし、そういう人たちと音楽ができて本当に恵まれていると思う。楽器やっててよかったわー
本当に後少ししかみんなでJAMできる時間はないけれども、まだまだ僕もカッコ良くなって、みんなの付き合いに報いれたら、、と思います。

最後に一応記録&クレジットとしてバンドメンバーとセトリ残しときます(今までのNFのセトリも残しとけば良かったなー・・・)。
みんなありがとうございましたーー!!



——Hashimoto Hashimotoーー
(Seitaro Hashimoto, Shota Ito, Chihiro Kawano, Hirokazu Koi, Kyoko Kuno, Ayako Maruyama, Louis Matsuba, ISSEI Suemitsu, Shunsuke Takagaki)

1. Sir Duke (Stevie Wonder)
2. I Got You (James Brown)
3. ABC (The Jackson 5)
4. Land of 1000 Dances (Wilson Picket)
5. Hold On, I'm Coming (Sam & Dave)
6. Stubborn Kind of Fellow (Marvin Gaye)


ーーCo:Illmaticーー
(Hirokazu Koi)

1. Klaviersonate Nr. 8 c-Moll "Grande Sonate pathétique" (Ludwig Van Beethoven)
2. BMJ (Kenji Hino)
3. We Belong Together (Mariah Carey)
4. Blast! (Marcus Miller)
*5. It Doesn't Mean Anything (Alicia Keys)


ーーU-Pentagonーー
(Kei Akita, Hirokazu Koi, Yu Naiki)

1. Whippersnapper (Wayne Krantz)
2. It Is Written (John Scofield)
3. Upper Manhattan Medical Group (Billy Strayhorn/Duke Ellington)
4. Shirts Off (Wayne Krantz)


ーーKOI & FAMILY FAIRーー
(Hirokazu Koi, TetsuWo Miyazawa, ISSEI Suemitsu, Natsuki Takeda)

1. L.V. (Re-trick)
2. The Best Is Yet To Come (urb)
3. In All My Wildest Dreams (Joe Sample)
4. 3 Deuces (Marcus Miller)


(*印の曲は実際には演奏されず)

2009年11月4日水曜日

If this is the cross that I have to bear,,,

「呼吸の仕方もわからなくなるんじゃないかってくらい、もう私あした死んでる、死んでなきゃおかしい
くらい苦しくて。だけど、朝起きたら生きてるんだよ。で、なんで生きてるのって思うけど、生きていけちゃうんだよ。いなくなったら、もう生きていけないと思ってたのに、いなくても生きてけるんだよ。」via momo





クロード・レヴィ=ストロース氏が亡くなったようだ。
つい先日、友人たちと、未だ存命であったことを驚きあったばかりだったのだが。
御年100歳。さすがに最近は知識生産の第一線からは退いていたようだが、それでも私たちがまたひとつ、大きな知の灯台を失ったということには違いないだろう。
現在、誰もジミヘンの影響を受けずにギターを弾くことができないように、あるいは、ジャコの影響なくしてエレクトリックベースを弾くことができないのと同じように、現代のあらゆる人文社会思想をめぐる語りにおいて、レヴィ=ストロースと無関係でいることはできない。
心からご冥福をお祈りします。

で、己斐のパソコンも死にました。クロードさんと同じ命日
そんでこの際思い切ってMacbookに乗り換えることにした。
ついに脱Windowsや。さようならビルゲイツこんにちはスティーブジョブズ
お金を貯めてほかに買おうと思っていたものは買えなくなったけれども(かめらとか・・)、まあ、そんなもんやろ。

今日納品です。wktk
マッカーの皆さんはよろしく
とりあえず今はOfficeの入手ルートを検討中。こんにちはビルゲイツagainあと、Adobe製品とかは入ってるのかしら。