2013年3月24日日曜日

ドラマ版モテキ再考(いまさら)

先週末、大学時代にトルコを一緒に旅した男、モラが東京にきてたので、映画版モテキをDVD借りて見ました。
この映画に関しては劇場に見に行ったときの感想をブログにも記しています。
2011年時の感想





で、その友達にドラマ版をオススメされたので、ドラマについてもDVD借りて一気に見るという活動をしていました。




ドラマ版も面白かったです。

大根監督の一貫した世界観でありつつ、映画版の前日譚なので、うむ、視聴感的にはスターウォーズエピソード1的な()




主人公の幸世くんは、女子に対してやってはいけない行動ばかりを連発し、本当に見てられないんだけど、それでも嫌いになれないのは、自分にもそういうヘタレな人格があるからだと思います。





私は、(資本主義社会の抑圧に与して象徴消費を繰り返す)バブル期のトレンディドラマもしくは島耕作的なプレイボーイ物語に対するアンチとして、プラトニックな純愛モノがリバイバルしたのがゼロ年代だったと思っているのだが…



異性間の純愛だと冬ソナ的な構図になるし、
韓流ブームを通過したわれわれが見て楽しいコンテンツにするためには、別のヒネリがいるよね、ということでアッー!♂の世界に走ったもーたのが諸々のBLとか「坂道のアポロン」だな。
プラトン的愛を端的に表現しようとしたとき同性愛は確かにわかりやすい設定(cf.フーコー)


ほいでもうひとつのオルタナとしての、ヲタクの恋愛モノの範疇にモテキも入るとは思うのですが、、、ヲタ恋愛という意味では電車男という先行事例があるものの、ヲタのプラトニシティとバーターになっていた「一途さ」みたいな前提を撤去して、複数の女の子に目移りしちゃうヘタレ主人公を描いたところが新しいリアリティなのかなと思いました。


この目移りしがちなところは映画版だけだとわからなかった。
映画版の後半はけっこうシリアスな恋愛モノになるので。。


一途さには欠けているのだけど、幸世は女を完全にルックスで選んでいるから、結局プラトン的だと思う。



(同性でも異性でも、とりあえず美しければ好き、というのがプラトン的愛のエッセンスだったはず)


 でまあ、いっぽうで参照点になっているのがリリーフランキー演じる墨さんなのですよねぇ

バブル世代モテ男の象徴



モテキはまた、バブル世代を目の敵にしてるロスジェネ(アラサーの幸世)の悶々とした感じを描いた作品でもあるのだなーと思たよ。
でもゆとりのわれわれは一周してバブラーの墨さんにひかれちゃうんだよね(そう劇中の満島ひかりのように)。

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