「われわれ」という一人称複数の名詞を用いることは、確かにある。
しかし程度の差はあれ限定的だと思うし、論旨をクリアに示す必要があるアブストや導入の部分ではあまり使わないだろう。
ところで「われわれ」とは誰か?
もちろんアイデンティティクライシスに悩んでいるわけではない。
ここでの問いは、「われわれ」に「あなた」が含まれるかどうかだ。
つまり、語りかけられている人は「われわれ」の一員か、それとも他人か。
実際に日常生活でこの言葉を使っている情景を思い浮かべればわかるとおり、どちらのケースもありうる。
「あなたはそう思うかもしれないが、われわれは違う」と言う場合の「われわれ」に「あなた」は含まれていないが、「アイツらはともかくワシらはちゃうやん、なあ?」には、語りかけられている人(つまり「あんさん」)がかなりの確率で含まれている。
つまり日本語の「われわれ」「わたしたち」「わしら」は、そのあたりが曖昧なのだ。
英語のweとて同様。
聞き手(読み手)がweのうちなのか、それとも他人なのかが、明示されないのである。
しかしあくまで私見だが、学術論文に限って言えば、「われわれ」に含まれるのは、まずもってその論文を査読し掲載したジャーナル共同体の人びと、知識を生産し公共に提供している集合的主体であろう。
そしてジャーナルを刊行し、知識を公共に開いているという意味で、それは読み手である「あなた」をも含む。
もっと言えば、まだその論文を読んでいない不特定の他者、言うなれば「きたるべき読者」にも呼びかけているという意味で、「彼ら」をも含むだろう。
したがって学術論文での「われわれ」はあくまで、非人称的な「われわれ」なのだ。
とはいえこれは所詮キレイゴトだし、こんなことを考えながらすべての科学者たちが論文を書いているとも思わない。
それにジャック・デリダが生きていたとしたら、
「真理、普遍性を要求する真理は、理性の非人称性と歴史超越性を前提とすることによって他者を暴力的に排除する。他人を認識し、他人と一体化し、他人と同化しようとしたとしても、それは同一者への概念的関係づけにすぎない」
とでも言いそうなものである。
これは突き詰めれば、客観的かつ普遍的な真理というテイを持ちながら、常に反証の可能性へと開かれたサイエンスの抱える根源的ジレンマなのかもしれない。
南太平洋の島国、パプア・ニューギニアでは、トク・ピシンという英語起源の混成言語が話されている。
このトク・ピシンには「われわれ」を意味する表現の基本形が2種類ある。
まずはyumi。
これはyouとmeを合体させたもので、つまり「あなたを含むわれわれ」の意味。
それに対してmipelaはmeとfellow(s)を合わせたもので、「あなたを含まない、私と彼(ら)」の意味の「われわれ」である。

すごいのは、ここにバリエーションが加わることだ。
つまり、「あなたを含まないわれわれ、合計2名」ならmitupela (me+two+fellow)、同じく「合計3名」ならmitripela(me+three+fellow)
それに対して、「あなたを含むわれわれ、合計3名」ならyumitripela (you+me+three+fellow)、「あなたがた計2名」ならyutupela(you+two+fellow)となる。
ものすごい表現力だ。
以前もクレオールに触れたことがあるが、こうした混成言語は、「頭の足りない未開人による低能言語」と考えられがちだ。
確かに、単純化はクレオールやピジンの特徴ではある。
しかし、少なくともトク・ピシンは、人称代名詞の表現の細やかさでは英語を優に凌駕しているではないか。
単純なだけではない。
クレオールといえば、日本人にとってもう少し馴染みが深いのは、ジャマイカのパトワだろう。
もちろんわれわれが耳にする機会が増えたのは、ボブ・マーリーがはじめたレゲエのグローバル普及のお陰だ。
ジャマイカン・パトワもまた、英語をベースにしたクレオール言語である。
しかし考えてみればジャマイカは、アフリカからつれてこられた奴隷の子孫である黒人が人口の大多数を占める国だ。
なぜ、アフリカの言語を貫き通さなかったのか。
奴隷輸送船の船員(白人)になったつもりで考えてみると、利益率をなるべく高くするためには、とにかく大量の奴隷を一度に運んだほうが良い。
ついでにいうと、分け前を多くするためには、船員の数は少なければ少ないほど有利である。
しかし、たとえば10人の船員で航海する船に、200人ほどの奴隷を詰め込んだ場合、心配はないだろうか。
もっとも怖いのは、奴隷たちが一致団結して反乱を起こすことである。
それを防ぐにはどうしたらいいか。
そう、奴隷同士の意思疎通を妨害すれば良いのだ。
というわけで、奴隷たちは、それぞれ独自の言語を持つ多くの民族、、、フォン、アシャンティ、ハウサ、マンディンゴ、ウォロフ等々、、、から少人数ずつ集められたという(異説アリ)。
そんな混成集団では、各自の言語はごく少数の身内にしか通じない。
こうした集団がプランテーションに売られ、そこで生活をはじめた場合、何がおきるだろうか。
船倉に押し込められての旅のあいだはまだしも(といっても何ヶ月もかかるわけだが)、共同で綿花を摘んだりサトウキビを育てたりするには、やはり共通語が必要不可欠になるには違いない。
ただ、彼ら奴隷たちに必要なのが、自分たちアフリカ系混成集団内の意思疎通だけであれば、アフリカ言語の中で有力なもの、たとえばリンガラ語とかヨルバ語とかを中心にしたクレオールでも良かったはずだ。
しかし実際には、主人である白人とのコミュニケーションも重要だった。
望むと望まざるに関わらず、だ。
だからこそ、アフリカの言語ではなく、英語のボキャブラリーを基本にした混成言語が生まれたのだ。
もちろん、こういう際にベースになるのは英語だけではない。
たとえば同じカリブの国でも、ハイチは元フランス領。
だから、現在のハイチ国民のほとんどはフランス語起源のクレオール話者だ。
「ちゃんとした」フランス語と並んで、ハイチの公用語ともなっている。
また、ジャマイカが第二次世界大戦後、平和のうちに独立を果たしたのに対して、ハイチは18世紀末に奴隷たちが起こした反乱により独立した、という相違点もある。
「史上唯一成功した奴隷反乱」とも言われるこの独立革命の原動力となったのは彼ら奴隷が信じていたヴードゥー教だが、そのヴードゥー教用語の多くも、やはりフランス語起源だという。
たとえばヴードゥーでは、悪魔をジャブ(djab)と言うが、これはフランス語のdiable(つまり英語のdevil)が変化したもの。
森の神はグラン・ブワ(Grans Bwa)と呼ばれるが、これもフランス語のgrand(偉大な) + bois(森)が原型である。
しかし英語の場合、英語をベースにした世界中のいろいろな混成言語が「イングリッシュ・クレオール」と呼ばれるのに対し、
「フレンチ・クレオール」なるものは学術の世界でもなかなか語られないという。
このあたりが、フランス語文化圏のauthenticitéへのコダワリの現れと言えそうだが。
自分の研究から逃避して地域研究や民族誌周辺のひとびととつるんでいたらこういう蘊蓄ばっかり溜まるね。
oh - _ - i wrote long comment about this post but it all erased - _ -;;
返信削除first point was, interesting post!
second was ive been wondering same thing about the range of "we"cause we aslo use "WE"in text for insisting or talking subjects.
the other comment was;;; it 's kind of differnet story. There is interesting thing in Korea. when we talk about family to someone, we say "our family, our house, our mom, our father, our brother"we seldom say "my"mom "my"father and "my"brother (even indicating teacher, school ...)
(I am not goonna forget copy all my comment before upload it - _ -;;)
OH I wanna read ur original comment!!-_-
返信削除this topic is indeed quite interesting either linguistically, philosophically and even sociologically, and definitely should have been addressed in a more academic manner.
difference in languages must be more or less representing what the culture, where a certain language is embedded, is like.
the thing about "our" in Korean seems quite a bit thought-provoking to me because it is different either from Japanese or English, and I think it must be related with the Confucianist tradition...or not-_-