2010年6月23日水曜日

My Favs⑫



Jacob Miller "Chapter A Day" (1999)




夏になるとレゲエ成分を補充せずにはいられない。

非リア充であるからして,カリブ海に脳内旅行を行うのが精一杯だが,それはそれで楽し。

高校生のころはもっと熱心なレゲエファンだった。
リッチー・スパイスやルチアーノやダミアン・マーリーの新譜はすべて新品購入し,関連書籍を漁ってはラスタファリアニズムについて研究し,ジャマイカのドキュメンタリー映画の新作は全部チェックした。

MoominやPUSHIMによる和製レゲエも高く評価し愛聴していたな。

カリブ海への情熱はいつのまにか薄れたが,それでも夏になるとレゲエは帰ってくるし、いつかジャマイカにも行ってみたい。
(ちなみに英語っぽく言うならパイレーツオブカビアンじゃなくてパイレーツオブカリビア〜ンな)

レゲエのなかでもわたしはいわゆるダンスホールと呼ばれる、USに輸入されてハイブリッドなダンスミュージックへと進化した種類のものには興味がなく、おもにラスタやルーツレゲエに分類されるアーチストたちが好きなのです。

しかしよく誤解されているように,ジャマイカ人やレゲエの人たちの100%がラスタというわけではありません。
たとえば、おそらく一番有名なレゲエ映画"The Harder They Come"主演のジミー・クリフはムズリムですし・・・

知らない人たちのために説明すると,ラスタファリアニズムとは、ジャマイカへとつれてこられた奴隷の子孫である黒人たちの間で発展した,アフリカの中で唯一植民地化されなかった国エチオピアの皇帝ハイレ・セレシエをメシアの復活と信仰し,アフリカへの回帰を目指す,ユダヤ教などにも強い影響を受けた宗教であります。

そして一部のレゲエ音楽にはその「祈り」の文言が非常に多く盛り込まれているというわけですね。
で、これが、ハンパなくリアル。

暴力,貧困,ドラッグが蔓延するジャマイカのストリートの厳しい現実を歌い,「ジャー」の栄光を賛美し「約束の地」への憧憬を紡いでいくラスタたちの叫びに共感し涙せずにはいられません。
もちろん歌詞は濃厚ジャマイカンイングリッシュなのでわけわかんない部分も多いわけですけれども。

わたしにとってやはりレゲエはまずもって宗教音楽というイメージなのですよ。
楽しい、愉快な,ビーチサイドで水着のネーチャンたちが踊るだけの音楽ではないのです(いや、それもまた大きな要素ですが)。

レゲエが現在のグローバルなポピュラリティを獲得するに至った歴史上最大の功労者ボブ・マーリーは、ある意味ではA級戦犯ともいえ,彼のレゲエ宣教が招いたピュアなダンス音楽・パーティ音楽としての進化と商業化に反発する人たちもジャマイカには多いらしいですねん。

しかしまぁ、屋外パーティ(儀式)の伝統が強かったジャマイカから、レゲエとともに強力なサウンドシステムが輸入されて,それがヒップホップ草創期のブロックパーティを盛り立て,それまでノイズでしかなかった2桁ヘルツの低音をクリアに再生できるようになったことで米アーバンミュージックの製作技術の発展を大きく促進した、ってのは余談ですが。。
「ラップ」という歌唱テクニック自体ジャマイカ発祥ですし・・・

とにかくすべては同じコインの両側だということですよ。


閑話休題。
先日,社会人類学の講義のゲストスピーカーだった,西インド諸島フランス語圏のクレオール文学の専門家の先生とお酒を呑み交わす機会があった。
わたしがあまりに授業後(しかも6限)しつこく質問しているので(ナード),レギュラーのほうの先生が「酒でも飲みながら話したら?」と言ってくださったのです。

わたしの蘊蓄得意分野のひとつであるアフロ・ブラジリアン・カルト(このブログにもチラチラ書いとりますな)の話題で非常に盛り上がりました。
ハイチのヴードゥー、キューバのサンテリア,あるいはブラジルのコンドンブレ,ウンバンダ,ナゴなど、、、これら魑魅魍魎が跋扈する世界観はそれぞれ独特のロマンスを醸していますね。
いや、わたしはまったく現地に行ったこともないわけですが・・・

当たり前ですが,先生はとても詳しかったです。
おもしろかったのが、先生が専門としている文芸運動ないし社会運動は,ネグリチュードといって、カリブにつれてこられた奴隷の子孫にあたる黒人たちが,自分たちの「黒人性」,「アフリカ性」を前面に押し出すことで創出した共同性をもとにしていたらしいのだけれども(ラスタのように),そのオルターナティブとして,もはや「クレオール性」や「カリブ性」そのものを共同性の担保にした文芸運動も存在するらしい、という話。

そうした「クレオール」運動ともいうべき流れの担い手となった黒人,あるいはラティーノ、混血の人々は、アフリカからも,正統フランス語文化からも切り離された「根無し草」であることそのものを自らのアイデンティティにするということ、すなわち奴隷貿易とプランテーション農業という外的な歴史によって強制的に与えられたカリブという「場所」を自分たちの領域として引き受けることで、人種やルーツを超えた新しい文化ムーブメントを生じせしめたのであーる。


科学史家のピーター・ギャリソンは,その名も「交易圏trading zone」という概念を用い,2つ以上のディシプリンが出会って学際的な新領域が発生するプロセスを、ピジン〜クレオールへの新言語派生のプロセスになぞらえて説明した。
はじめは異なる学問領域の専門語系が混ざりあって,特定の研究プログラム内部でのコミュニケーションのためだけの仮構言語のようなものが発生する(ピジン語)が、研究プログラムがある程度の期間持続し、それを母語とする研究者の世代が発生すると,独立した新しいジャンルとして定着するという(クレオール語)。


現在,日本のSTS研究者の多くは,自分の専門を訊ねられると、「社会学」とか「政治学」とか「文化人類学」あるいは「生命科学」、「物理学」などとと答える。
「科学技術社会論」と言ってもあまり通じないというのもあるし、ほとんどの先生たちが別のホームグラウンドを持っているからだ。

ガッキーや阪大の平川先生たちは日本のSTS研究の第一世代にあたるが,やはりまだSTSは日本において「ピジン」に留まっているということなのだろう。

その弟子世代にあたるわしらが一人前の研究者になるころには,STSは「クレオール」としてその独立性を獲得し,ゆくゆくは科学技術社会"学"へと格上げを実現できるのかもしれない。
以前のエントリにも書いたように,学際研究はムズいムズいと感じる日々だが,わたしたちがヒントを見出すべきなのは,あえて自身の根無し草性を強調して自立と共同を達成した、カリブの人々の姿なのかもしれない。な〜


レゲエと全然関係ない話になってしまいました。
お気に入り12枚目はジャマイカの至宝ジェイコブ・ミラーのベスト盤です。
ジミー・コーワンのプロダクションによる名曲のほとんどを収録してます。
スラロビの職人的ベース&ドラムワークがあなたの腰を穿ちます。

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