2010年2月10日水曜日

ジブリング

先日金曜ロードショーで『崖の上のポニョ』が地上波初放送されたようだ。
わしは見とりませんが。
mixiニュースなんかでは裏番組の『剣客商売』の視聴率の高さが取り上げられてテレビ視聴者の年齢層の上昇が指摘されていたりなんぞするが、まあそれ自体は構わない、と思う。
ネット上でのジブリ人気は依然凄いものがある。
『もののけ姫』が放送されていた時もだったが、ジブリアニメ放送時のついったーのTLの変容ぶりはすごい。


ネット好きな人はみんなジブリ好きなのだろうか。むしろネットへの露出が多いだけじゃないか。おそらく世代をこえて安心して書き込める「鉄板」ネタなんだと思う。ジブリ名言はお茶の間、学校、そして次はネットで消費されてる。(via @rjohph)


とつぶやいたのはUrikuraさんだがこれには同意。
量産されるジブリの名ゼリフ引用は鉄板過ぎてもはやオモロくはないね。
ネタへの依存だけに終わってしまって、ジブリ作品の本質からはほど遠いものという印象すら受ける。
もっとも、「ジブリ作品の本質」の何たるかなぞ語れないがね。

セリフだけではない。
ジブリ映画の主題歌たちが、この国で人口に最も傀儡した普遍的メロディの一角を占めていることに疑問の余地はあるまい。
わしだって、「ポ〜ニョポ〜ニョんふふふふぅ〜♪」っていうのが最初本当にキライで、「まじでイライラするぜ」って思ってたハードな中ニだったんだけど、気付いたら自分でも鼻歌になっていたりするからメディアの洗脳って本当に恐ろしい。
しかもそのメディアが踊り場だったりするから話が難しい。
ジブリネタをとりまく状況に関しては、『もののけ姫』『ポニョ』と続いた地上波放送と、それに反応したネット上のコンテンツをぼんやり眺めつつ、ふ〜〜む。。などと考えていたのだが、ついにわしを戦慄させる出来事が起きたのだよ。

それはほんの数日前。
知人のDJサークルの追いコン的イベントに誘われ久々にワールドに乗り込んだわし。
そこで目撃したのが、金曜ロードショーでの記憶も新しい(であろう)「崖の上のポニョ」が即興でミックスされる現場だった。
フロアはガツンとアガったが、わしの体は凍り付いた。
(フリーーーーーーーズ!!マック&チーズ!)
ドープなBボーイやビューテホーなBガールが跋扈する驚異的リア充空間にナードな文化系ブラックミュージックファンであるところのわしが彷徨いこんでいたという特殊な状況のせいもあって、余計批判的なアティチュードが刺激されたのも一因だが・・・とりあえず、音盤になっているものはライセンス・クリアしてるんですよね?

だって久石譲である。久石め。
ジブリ仕事で大きな転機を迎えたのであろう今や国民的コンポーザーの大家。
それ以前に手がけた仕事についてwikipedia先生などでざっと調べた感じでは、、
テリー・ライリーなどのミニマル・ミュージックに深く傾倒していた学生時代、音楽家として活動するにはそれなりの芸名が必要だと改名(本名:藤澤守)したこと。デビュー時はムクワジュ、ワンダー・シティ・オーケストラといった現代音楽〜フュージョン〜エレクトロを自由闊達に往来する不世出のアーティストだったこと、など、現在の音楽性を語るに欠かせないルーツを持っていることがわかった。
でも久石譲のこういう原点について語る人って少なくないかね?
坂本龍一とはえらい違いだ。
とりあえずわしはジブリ関連以外の久石作品について全然知らない。
petyuratto氏とか詳しそうだな。

とにかくである。
ジブリ周辺の久石作品、特に最近はそんなに良いと思えないんだ(ポニョはひどいぜ)。
なんてのかな。がっつり「あーええ曲!」っていう感動がない。
いや、もちろん偉大な作曲家ではあるだろう。
もののけ姫のサントラはけっこー好き。
金もあるし、作品性も創作技術もすごいんだろう。

しかし。
おそらくこういうひねくれた感想になるのは、久石ワークスをそのまま使った昨今のジブリぬたクラブミュージックに対する「ツマンネ」という印象に起因しているのもあると思うのだ。
すぐ思いつくところでは、日本のジャジーヒップホップ集団VOLTA MASTERSの『Oriental Wind Remixed』が挙げられるが、これもパッと聴きだけ「おっ」ってなってあとはポイっちょ。
なんつかね、チープなんですよね。
冒頭で述べた名セリフ引用と同様、久石曲の大ネタ使いのどれからも感じ取れるのが「これを使えばどうにかなる」感。

問題はネタ依存だけではないだろう。
宮崎作品に流れる現代のマジョリティを、もしや昨今のトラックメイカーも求めているのだとすれば、かつての日本語ラップが経験することになった歌謡界進出にも似た、あの種の転換期をアンダーグラウンド/インディーズ・ヒップホップ界も迎えたことになるのだろうか。

この事態はまた、島谷ひとみの「雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を」を連想させる。
相田みつをの同名作品にメロディをつけ歌われるJポップが、一連のジブリぬたを量産する社会背景を象徴しているように思えてならない。

ひとことで言うなら道徳観ということになろうか。
道徳観という大義名分がメロウやジャジィといった言葉にすり替えられながら踊り場でかかる音楽のあり方を変えていこうとしているんじゃないか。

無法地帯化したネット社会において大人も子供も安心して楽しめるアニメは、このご時世たしかに貴重だろう。
わしだって宮崎作品は好きだ。
その美しい描写、時空を超えたストーリーに感動を覚えずにはいられない。
そして圧倒的な映像美をサポートするBGMも、その枠の中において高い完成度を誇っているように思う。

しかし、だからといってあの曲をサンプリングしたいというイージーな気持ちには同意しかねるな。
というより、音楽家ならその感動を他のエネルギーに替えて自分の作品にすべきじゃないか?
あるいは大ネタ使いじゃなくて、「そこを使っちゃうかー!」という唸るようなアイデアを期待しちゃうんだがな。文化系音楽ファンとしては。
従来のアニメの概念を超えた宮崎駿、そこに共鳴した久石譲も映像と同化することで、音の呪縛から解放され新たな境地を切り開いたのだ。
そうした大事なプロセスを省いたところでジブリったとしても、元ネタはもちろん自分のベストを超えるほどの感動なんて生まれないぞ。DJブースの住人諸君!

とまあね、件のDJに小一時間説教たれたわけじゃないけど、勝手にクリティカルになってもたということですわ。
ナードですな。

ちなみに久石ワークスではこの曲が好き(ジブリじゃないってゆー)。

5 件のコメント:

  1. あ、久石譲はそんな詳しくないです。ミニマルやってたというのは、知識としてだけ知ってます。作品聴いたことはないです。
    聴いたのは映画関係の仕事だけですが、和音の使い方とか、独特ですごいな、とは思います。

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  2. あっそうなんだ。。
    なんとなく知っていそうかと思い。自分の中で勝手に久石と坂本龍一がかぶってたりするせいもあって。
    確かにsus4の威力をここまで感じさせる作曲家もなかなかいないよね。

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  3. ヒサイシジョーとおんなじ高校ー。

    有名人の卒業生この人しかいないーw

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  4. まとめると、久石譲 is okay...ということですわ

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