今日は人環主催のシンポでバイト〜メトロで菊池さんトークショー
という流れでした。
シンポはバイトだし、期待してなかったんだけど意外とおもろかった。
気候変動問題の話で、またかよって感じだったけど、登壇者は経済学者中心でいろいろ新鮮でした。
やっぱり環境政策はいろいろコストがかかるから、いまリーマンショックでボロボロの先進国は限界費用下がってるし、途上国に負担をふるべきなのかどうか・・・みたいな話とか。おもしろーい。
でも、とりあえずみんな「CO2排出量削減」ていうマクロフレームは疑わないんだね。
そもそも「地球温暖化」自体が科学仮説にすぎないのに。。
恐るべき京都議定書レジーム。
まあそれはよしとしよう。少なくともそういう突っ込みを入れるのは経済学プロパーの人たちの仕事じゃねーや。
ただ、IPCCがやってる排出量推計は相当複雑な計算モデルに基づいているから、そこにさらに不確実な経済学のモデルを導入して算出された排出量削減量対コストの予想グラフなどはだいぶ胡散くせーなと思った。この辺はコンピュータシミュレーション・パラダイムの陥穽と言わざるを得ない。
それらをもとにそれらしく語っているプレゼンはよけい胡散臭い。未来のことなんてわからないはずなのだが。
Stern Reportにしてもそうだけど、偉い人がキャプション書いてきれいなグラフにして綴ってあったら説得力を持ってしまうから、イメージ(図)とオーソリティの共犯関係というやつはすごい。それだけでロジックになっちゃうという。
気候変動問題は厳密には人間全員がステークホルダーとなる問題であると思うから、「インデペンデンスデイ」じゃないけど、その解決は、グローバルな目標設定としては悪くないと思う。潜在的に人類みんなが一致団結する可能性をはらんでいるというか。
しかし現実には、各国に負担をどうやって分配するかでモメているわけで。ならば、モメごとがフェアに解決される仕組みを作らなければならないと思いますよ。
不確実な予想は政策を作るうえでの見立てとしては意味があるものだろうけれど、今のIPCCのやり方では分配された負担がちゃんと消化されているかどうかさえ不透明にならざるを得ないので、それが問題だと思います。
IPCCでは各国から推薦された科学者たちが文献レビューに基づいてジャッジメントして、排出係数のデフォルト値を決定していますが、たとえば農業分野の排出係数について専門家ジャッジとそのリファレンスを比較分析した結果、不透明なデータ操作や根拠を明示せずに下した直感的判断が、リファレンスに示された全論文のデータを超えるほどの大きさとなって結論に影響を及ぼしているという報告もあります。
アメリカと中国が大きく温室効果ガス排出量削減の負担をしなければならないことがよく話題にあがりますが、このシステムではデータの地域代表性とか、不確実な場合「安全性」をどちらにとるか(産業活動からの排出量を検討する場合、温暖化防止の観点からは、あえて排出量を大きめに計上するように排出係数を設定することが安全側となる。翻って産業界から見れば、排出量は少なめに計上されるように設定することが安全側)とかの政策的判断を科学者が無意識に下す可能性も生じますわな。もちろん「意識的」に下す可能性も。
温室効果ガス排出吸収インベントリは、もうピア・レビューできないレベルまで細分化していて、当事者以外は全員シロートみたいな状況ではらちがあきませんね。
インベントリは本来、社会の発意に基づいて、最新の知見を用いて作成される境界オブジェクトであるはず(Dilemma of boundaries!!!!)。
そもそも、「地球環境」という究極のザ・コモンズを扱うのに、所有権を人格に分配することに気を狂わせていた近代の産物である「国家」という単位をベースに考えていること自体に、ちょっとしたずれを感じる。
とにかく、コモンズを扱うのにnation 2 nationの考え方は不向きなんだと思う。やっぱこれからはgalaxy 2 galaxyで考えていかないと笑
とまではいかないものの、アカデミアと政治を架橋した広範な議論に基づいて形成された社会的合理性に基づいて、政策決定者が判断を下していくべきでしょうね。
眠いので菊池さんについてはまた後日Zzz
>nation 2 nationの考え方は不向き
返信削除nation2nationのみで行こうとするのは私も違うと思う!実際に最近は国際法の形成過程でもNGOとか非国家主体が参加するようになってきているし。
でも国家は依然として存在しているし、国だからこそできること・国じゃなきゃ出来ないこともあると思うから、その辺の役割分担の意識をみんな共有して、国もNGOも専門家も市民もお互いを上手く使いあって、お互いの強みを活かして結果に繋がっていくと良いよね!
galaxy 2 galaxy は・・・地球人2宇宙人・・・笑
そういえばperson 2 personていう曲もあるね!(←関係ない)
コメントありがとうございます。
返信削除国には国の役割があるという点では同感。
すでに気候変動問題は大きなビジネス市場を形成しつつあるし、関わっている専門家も国や大学の研究者からメーカーや金融機関のエンジニアが中心になりつつあります。実は環境ビジネスとUNFCCC体制の文脈は乖離しつつあるのかもしれない。
ただ、国家は退場を余儀なくされる訳でなく、国家主権はこれまでと異なった機能を発揮しながら、企業や国民が温暖化問題に対応できるよう、「枠組み」作りをおこなわければならないと思う。
登壇者のひとりだった外務副大臣の福山さんがいっていたんだけど、これからは市民や研究者のアイデアをフレキシブルに活用して対策をとっていくプラットホームの構築が目指されるんだって。良いことだと思います。
ocean 2 oceanていう曲もあるよ。
うーん、なんかやっぱり難しいからうまいこといえんけど、地球温暖化ってのをひとつ取り上げて、環境問題について、人類が真剣に?考えるようになったのはいい風潮だとおもう!!ほんとは温暖化してないかもだけど・・・!!私も、自然とかについても卒論で扱うので、ちょっといろいろ考えてみるー。
返信削除コメントありがとうございます。
返信削除そう、実際エイリアンでも攻めてこない限り人間が団結することはあり得ないとか言われてるけど、環境問題は、究極的にはこの団結を実現させるポテンシャルも持ってると思う。
だけど結局は国同士がモメてんのね。。だからこそ、国単位で信頼関係を築けないならほかのスキームを探すしかないのかとも思ってしまう。
あとは、温暖化問題って、問題が提起された時点から、合意形成→対策技術→対策効果の評価・・・みたいな感じで、国際社会での議論の進展に応じて重点がシフトしてきている歴史がある。だから温暖化科学のツール化が過度に進んだ結果、みんなの意識が温暖化現象自体から離れていってしまう、ひいては社会問題としての重要性が見失われる恐れもあると僕は思っています。
地球市民の意識を統一するのは不可能だろうけど、それぞれがパースペクティヴを持つことで可能性は開けると思うし、僕もその一部でありたいと思っています。
卒論がんばろう。