2013年12月12日木曜日

米国債の危機に思う part 2

富の自己増殖について考えるエントリ第2回


前回から2か月が経とうとしているが、、、

ご存知のとおり、前回のエントリを投稿した直後に、米上院の超党派が提示した債務上限引き上げ案と暫定予算が可決され、先月の米国の危機は回避された。
ほっとしたという人も多かろう。

とはいえ課題は山積みである。暫定予算(政府機関の稼働)は2014年1月15日までで、米債務上限引き上げは2月7日までであり、近日中のデフォルトリスクが去ったとはまだ言えない。。

年末にかけ、FOMCの緩和継続がどこまできいてくるのか・・・

しかし、このようなその場しのぎ的立法をしていけばどんどん国債を発行していけるという事態こそまさに、債務帝国アメリカの病理のわかりやすい症候であろう。
歴史的に、米国債は時間と空間の制約を超えた信用のスパイラルを創出してきている。


継続的な借入による金融価値の創出が、深刻な資本主義的倒錯の表象であるとマルクスが述べていたことは前回のエントリで紹介した。

21世紀のエコノミストであるマイケル・ハドソンも、米国の債務帝国主義が生産する倒錯状態が、論理的な極値に到達しつつあることを指摘している。
曰く、国際的通貨基準となった米国国債は、貨幣というものが資産から借入へと、その形態を進化させたことの象徴である。資本主義が孕む狂気が、歴史上前例のない形で表出したのだ。

マルクスはまた、富の一般的な形式は、自らに課せられる制約を乗り越えようとする無限の慣性力を持つ、とも論じていた。
米国の債務創出に対しては今回の危機からもわかるとおり、さまざまな制度上のバリアが存在するにも関わらず、債務を担保するルール(つまりここでは連邦政府予算に関する法律だな)は、空間や時間の媒介から自らを解き放つ方向へと進化し続けている。
もはや単に米国の覇権が依って立つ論理的パラドクスだけを問題にすることはできない。
債務創出による価値の生産は、生命圏と非生命圏の境界=地球環境を乗り越えて進みつつある。

要 は実体経済とマネーの額面の極端な不一致、というよく指摘されるアレを言い換えたいだけなのだが。
とにかく、世界の通貨価値の基準となっている米国債がデフォルトする(しかける)という事態は考えてみれば、経済学のタームで語られる経済的現象の範疇を超え出ている。米国の債務帝国主義は、むしろ生態学的な発想で語られるべきかもしれない。(環境経済学者たちが試みてきたことで はあるが)
さまざまな政治経済の評論家が展開している議論を一気にパラフレーズしてしまえば、とりあえず米国債の信用担保は地上には存在しない。少なくとも現在の自然科学が認識できる次元には、ない。

かつては米国や日本といった経済大国による世界経済の席巻は、ひとつには石油に代表される地下資源の収奪と結びつけて語られることも多かった。
しかしすでに、地上の富が(金でも石油でもシェールガスでもなんでもいいが)、なんらかの物質と結びついている、というようなナイーヴな信念が通用する時代は終わった。債務帝国主義による価値の自己再生産は、このような地球の物質的限界を完全に突破してしまっている。

シェー ルガス革命により、米国の債務創出スパイラルが地球の石油俯存量を削り取ることで成り立っているというあからさまさが表面上薄れているのも一因だろう。しかしなにより、この明らかに不安定な状況に油を注いでいるのは、信用を担保している資本主義の倒錯(by マルクス)である。純粋な「信用」の世界において資本が地球のキャパシティの限界 を超えて自己再生産することが可能なのはこの倒錯のおかげとしか言いようが無い。

国債の借り換えが投機的な慣性力を持つことは自明だが、それは事態の一面でしかないだろう。
小切手にせよクレジットカードにせよ米国債にせよ、債務の将来的な返済が約束されていることを証明するためには、なんらかの形での物質との繋がりを示していく必要がある。
したがって債務帝国の倒錯は投機的かつ逃避的であるだけでなく、ある意味で極めて唯物的でもある。換言すれば、繰り返される借入は、物質化の慣性も内在させているということだ。
米国債含め、長期的には、あらゆる債務は地球上にある物質に帰属し、返済される「ことになっている」。
こうした、地球上の物質を参照することにより、自律的に物価が安定化されていくプロセスは、一種のオートポイエーシスのようでもある。



われわれは130年以上前にマルクスが予言した、資本主義の倒錯が生み出す幻想を目撃しているのではないだろうか??

(続く・・・のだろうか)

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