2010年8月2日月曜日

Lianmo

 ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私が興味をひかれ、使えそうだと思ったすべてを書き記した、数千枚ものカードからなる装置があります。かなり巨大で、今ではほぼ40歳くらいになりました。このカード箱のなかには一枚のカードがあります。そのカードは他のすべてのカードは嘘だと指し示しています。つまり、すべてのカードを反証する論拠が、カードのひとつに書き留められているのです。でも、それを私が引き出そうとすると、姿を消すのです。他の番号をふられて、他の場所を探して。
 あなた方は、このカードがジョーカーのように他の場所へ飛び移る可能性をつねにもつことで、5、6千枚ものカードのなかからこの決定的なひとつを私がいっそう探せなくなっていることがおわかりでしょう。・・・・・・私が箱のなかに見つけられないその論拠を、あなた方が私にとってきてくれることを私は願っています。

—ニクラス・ルーマン(2004)『システム理論入門』p.227-228.


知とは、自分の視座で世界を見通すことではない。
自分もふくめたすべての人に、論理的な可能性を開いて手渡すことである。




こういう感じでゴッソリ引用してブログに載せるのって本当は違法なんだよね。確か。

2 件のコメント:

  1. 「あくまで地の文が主,引用が従となるように」というのがボーダーラインだったと思います。しかしこの主従の概念が量的なものなのか質的なものなのかは疑わしいところですが。

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  2. なるほろ。。
    まあこのエントリは質的にも量的にもアウアウですね。

    たまに他の人のブログとか見てても、詩とかガッサーー引用(転用)してて、気に入らんわーとか思うんよね。

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