文化系音楽ファンの間ではけっこう話題になっている円堂都司昭『ソーシャル化する音楽』を漸く読んだ。
帯のコピーどおり「次々と新しいムーヴメントが起こる音楽シーン」が「全方位レビュー」されているなかなかおもろい本であった。
ゼロ年代、ソーシャルメディアの登場に伴ってポップミュージックの消費環境がドラスティックに変化し、同時にコンテンツも急速な最適化の歴史を辿ってきたのは誰もが知るところである。
ゼロ年代以降の音楽シーンを考える上では、フェス、iTunes、YouTube、DOMMUNE、K- POP、Perfume、やくしまるえつこ、菅野よう子、神聖かまってちゃん、AKB48、ももいろクローバーZ、ゴールデンボンバー、アーバンギャルド、初音ミク、けいおん! 、音ゲ、エア・ギター、「歌ってみた」「踊ってみた」など、膨大なキーワードが想起され、ウェブや雑誌でもさまざまな言論が行き来しているが、それらを体系的に整理し解説した本ていうのは今までなかったと思う。
同じく今年に入って出た音楽本である『誰がJ−POPを救えるか?』(感想エントリ)が産業論寄りだったのに対し,こちらはきっちりコンテンツに踏み込んだ分析がされているので、専ら聴く専門の音楽ファンも読んで楽しい内容であろう。
本自体がサーベイ形式なのですべての内容を要約するのは難しいのだが、基本的には以下のコンセプトを、ゼロ年代以降の音楽シーンを語る上での鍵となる道具立てとして分析に用いている。
ここで、あえてしょうもない感想を書くと、
これら、あたかも21世紀に入ってテクノロジーとメディアの変化によって突然現れた現象のように書かれておりますが・・・・・・・・・・
全部ヒップホップ/R&Bの業界では、はるか昔からやられてきたことではなかったか?
古いジャズやソウルのレコードからとったフレーズを新しいビートに載せかえたり、時にはもとの曲すら特定できないほどの粒度でパーツを抽出して別の曲の中に散りばめるサンプリング(チョップ&フリップ)や、DJ自らがさまざまなレコードから切り出した曲を繋いだ音源を売り物にするというミックステープカルチャー、既存曲に別のアーティストをフィーチャーして再演したりだとか、あるいは曲と曲を繋ぐ部分のビートにあわせてダンサーが自由に踊ったり(ブレイクダンス)とか、これら諸々はすべてヒップホップの登場時期から同ジャンルを特徴づけてきた技術/製作手法である。
それをまったく無視して突然鬼の首をとったかのように「分割」「変身」「合体」といったコンセプトを提示してドヤ顔をされても、ナンダカナァである。。
・・・というような感想がしょうもないのはわかっているんですけどね。
もちろんゼロ年代以降の日本音楽シーンで起きている変化は、ブラックミュージック的な作法論には回収されないレイヤーでの変化である。
音楽の消費者同士が自発的に音楽を分割し、合体させ、変身させていっており、結果としてプレイヤーとリスナーの境界は不可逆な形で曖昧になってきている。
また同時に、SNSやN次創作のファンコミュニティを介してソーシャルな「繋がり」に価値を置く新たな共同性が生成されている。これは昨今のフェス人気にも通底する要因であり、かつて米国でもウッドストックやライヴエイドのようなフェスにおいて人々が思い描いていたコミューン幻想が40年の時を超え、当時の理念とは少し形を変えて現出したものともとらえることができる。。。とな。
それにしても、クラブミュージック系への言及や目配りが少ないのは確かなのである。
あくまでロックを主軸に書いてあるので、音楽ファンの中でもロックリテラシー低めな(私のような)人は、ちょっと??な部分もあったりーので。。。
まあ、日本では依然としてポップミュージックの最大勢力はロックだということなんでしょう。
帯のコピーどおり「次々と新しいムーヴメントが起こる音楽シーン」が「全方位レビュー」されているなかなかおもろい本であった。
ゼロ年代、ソーシャルメディアの登場に伴ってポップミュージックの消費環境がドラスティックに変化し、同時にコンテンツも急速な最適化の歴史を辿ってきたのは誰もが知るところである。
ゼロ年代以降の音楽シーンを考える上では、フェス、iTunes、YouTube、DOMMUNE、K- POP、Perfume、やくしまるえつこ、菅野よう子、神聖かまってちゃん、AKB48、ももいろクローバーZ、ゴールデンボンバー、アーバンギャルド、初音ミク、けいおん! 、音ゲ、エア・ギター、「歌ってみた」「踊ってみた」など、膨大なキーワードが想起され、ウェブや雑誌でもさまざまな言論が行き来しているが、それらを体系的に整理し解説した本ていうのは今までなかったと思う。
同じく今年に入って出た音楽本である『誰がJ−POPを救えるか?』(感想エントリ)が産業論寄りだったのに対し,こちらはきっちりコンテンツに踏み込んだ分析がされているので、専ら聴く専門の音楽ファンも読んで楽しい内容であろう。
本自体がサーベイ形式なのですべての内容を要約するのは難しいのだが、基本的には以下のコンセプトを、ゼロ年代以降の音楽シーンを語る上での鍵となる道具立てとして分析に用いている。
分割:様々なレベルで「作品」としてのまとまりを分割、分解する手法(音楽配信→アルバムではなく曲単位、フェス→「アーティストのワン・ステージ」という消費単位をつまみ食い可能な形に)
変身:音楽の形を変える手法(リミックス、マッシュアップ、着うたなど)
合体:音楽に関し、それを作り演奏したアーティスト以外の人間がかかわる(合体する)ことによって起きる状態を楽しむ(音楽ゲーム、エア芸、アーティストとタイアップしたパチンコなど)
ここで、あえてしょうもない感想を書くと、
これら、あたかも21世紀に入ってテクノロジーとメディアの変化によって突然現れた現象のように書かれておりますが・・・・・・・・・・
全部ヒップホップ/R&Bの業界では、はるか昔からやられてきたことではなかったか?
古いジャズやソウルのレコードからとったフレーズを新しいビートに載せかえたり、時にはもとの曲すら特定できないほどの粒度でパーツを抽出して別の曲の中に散りばめるサンプリング(チョップ&フリップ)や、DJ自らがさまざまなレコードから切り出した曲を繋いだ音源を売り物にするというミックステープカルチャー、既存曲に別のアーティストをフィーチャーして再演したりだとか、あるいは曲と曲を繋ぐ部分のビートにあわせてダンサーが自由に踊ったり(ブレイクダンス)とか、これら諸々はすべてヒップホップの登場時期から同ジャンルを特徴づけてきた技術/製作手法である。
それをまったく無視して突然鬼の首をとったかのように「分割」「変身」「合体」といったコンセプトを提示してドヤ顔をされても、ナンダカナァである。。
・・・というような感想がしょうもないのはわかっているんですけどね。
もちろんゼロ年代以降の日本音楽シーンで起きている変化は、ブラックミュージック的な作法論には回収されないレイヤーでの変化である。
音楽の消費者同士が自発的に音楽を分割し、合体させ、変身させていっており、結果としてプレイヤーとリスナーの境界は不可逆な形で曖昧になってきている。
また同時に、SNSやN次創作のファンコミュニティを介してソーシャルな「繋がり」に価値を置く新たな共同性が生成されている。これは昨今のフェス人気にも通底する要因であり、かつて米国でもウッドストックやライヴエイドのようなフェスにおいて人々が思い描いていたコミューン幻想が40年の時を超え、当時の理念とは少し形を変えて現出したものともとらえることができる。。。とな。
それにしても、クラブミュージック系への言及や目配りが少ないのは確かなのである。
あくまでロックを主軸に書いてあるので、音楽ファンの中でもロックリテラシー低めな(私のような)人は、ちょっと??な部分もあったりーので。。。
まあ、日本では依然としてポップミュージックの最大勢力はロックだということなんでしょう。
ヒップホップファンからすると、「分割」「変身」「合体」などの概念は確かに寒いですねー。僕的には少なくとも今のポップスはロックでは語れないとは思います。ただロックも極めてハイブリッドで定義しづらい存在だけにややこしい問題だと思いますが。
返信削除確かに。日本の場合、アイドルとかアニソンとかボカロみたいな参照点が全然ないジャンルもあるしね。あまりロックとかヒップホップみたいな北米由来のジャンル分けにそもそも適してない感はあるね。
返信削除ただ、日本では音楽批評がフォークとかロックを中心に進化してきたので、他のポップミュージックのジャンルについて語る語彙が圧倒的に不足してる感はある。だから、本を作るとこういう感じになるんだろうね。