ジョーカン氏の単著は今のところコンプしている。
宇野常寛『日本文化の論点』(ちくま新書)
「日本文化」という文字列からは別の種類のものが想起されるかもしれないが、著者がジョーカンなのでやはり中身はニコ動とかコミケの話ばかりである。
というか、ぶっちゃけベースで言うとこの本は巧妙に偽装されたAKB48論だw
AKB48について書かれた第6章は本全体のボリュームのおよそ半分近くを占めており、著者のAKB48に対する敬意と礼賛について、全力で言葉が費やされている。
リトPでは「付録」としてチョロっとだけ書いて不完全燃焼に終わっていた感もあったので、宇野ファンとしても嬉しいところ。
消 費者と生産者の間の情報伝達の主要経路がマスメディアからソーシャルメディアへと急速に移行していく過渡期にあって、AKB48がその両方の特性を最大限 に活用した戦略を採用して成功した奇跡的なコンテンツであることや、明示的に対価を支払って(CDを購入して)はじめて参政権が得られるという、ある意味 公共性の原風景とも言えるような総選挙システムが産み出す独特の「推し」のポリティクス・・・といったようなハナシは、「AKB48白熱論争」でも述べられていたことなので特に新鮮味はなかった。
しかし現代文化の想像力が中心の不在を前提とするサヴァイヴ 系へと移行していく中で、AKB48が体現した筋書きのない成功への闘争は、「会いに行ける云々」というコンセプトとも相まってわれわれ消費者を取り巻く 現実を文字通り「拡張」していく、まさに現代におけるエンターテイメントの極北を行く形態なのだ!という議論は、これまた既視感はあるものの、ゼロ年代批 評におけるデータベース消費論への停滞を解消した張本人であるジョーカンの文章として読むと、なかなかに唸らされてしまうのは確か!
思うにAKB48が新しいエンターテイメントの形を打ち出して成功できたのは、結局は秋豚がおにゃんこその他で築いた巨万の富による下支えがあったからだろう・・・
というのは、特定の産業を取り巻く環境がドラスティックに変化した場合でも、産業形態というのはそんなに簡単に変わるようなものではないからだ。
革新的な技術やプロセスが生まれても、それが市場に導入されるまでのイニシャルコストは通常莫大なので、日本みたいな国だと政府調達や税制優遇などの政策的介入が行われる必要がある(わかりやすいところだとエコカー減税、エコポイント等)。もちろんこういう施策がとられるのは、その分野で国際競争力を高めたいというモチベーションが政府側にある場合のみだ。
AKB48の場合も、初期の地下アイドル時代から、コンセプトが徐々に浸透し、人気が爆発するまでには長い年月と莫大な財政的コストがかかっている。
それを担ったのはひとえに秋豚の甲斐性と冒険心だろう。
確かにAKB48は革新的なモデルだが、逆に考えれば、秋豚並みにリスクマネーを投下できる資産家がもっといれば、日本にはイノベーションのチャンスがもっと生まれるんじゃないだろうか。
米国のベンチャーキャピタル文化と比べてもしゃーないけど、やっぱり圧倒的に日本のマーケットにはリスクマネーが足りないのだよなぁ。。
というようなことを思った。
ジョーカンは、これからは日本独特のアングラなカルチャーを海外も含めた「表」にガンガンだしていこう!コミケとかニコ生みたいなインフラごと輸出しちゃおうぜ!というようなことを(暗に)言っていますが、ビジョンと金とヲタク心を兼ね備えた秋豚みたいな人材は希有だし、なかなかキビシいよなと思うのも事実である。
全体として、新書ということでとても読みやすいし、批評とか普段読まん人にもオヌヌメだ(といっても、宇野さんの文章は他の本でもとても読みやすい)。
宇野常寛『日本文化の論点』(ちくま新書)
「日本文化」という文字列からは別の種類のものが想起されるかもしれないが、著者がジョーカンなのでやはり中身はニコ動とかコミケの話ばかりである。
というか、ぶっちゃけベースで言うとこの本は巧妙に偽装されたAKB48論だw
AKB48について書かれた第6章は本全体のボリュームのおよそ半分近くを占めており、著者のAKB48に対する敬意と礼賛について、全力で言葉が費やされている。
リトPでは「付録」としてチョロっとだけ書いて不完全燃焼に終わっていた感もあったので、宇野ファンとしても嬉しいところ。
消 費者と生産者の間の情報伝達の主要経路がマスメディアからソーシャルメディアへと急速に移行していく過渡期にあって、AKB48がその両方の特性を最大限 に活用した戦略を採用して成功した奇跡的なコンテンツであることや、明示的に対価を支払って(CDを購入して)はじめて参政権が得られるという、ある意味 公共性の原風景とも言えるような総選挙システムが産み出す独特の「推し」のポリティクス・・・といったようなハナシは、「AKB48白熱論争」でも述べられていたことなので特に新鮮味はなかった。
しかし現代文化の想像力が中心の不在を前提とするサヴァイヴ 系へと移行していく中で、AKB48が体現した筋書きのない成功への闘争は、「会いに行ける云々」というコンセプトとも相まってわれわれ消費者を取り巻く 現実を文字通り「拡張」していく、まさに現代におけるエンターテイメントの極北を行く形態なのだ!という議論は、これまた既視感はあるものの、ゼロ年代批 評におけるデータベース消費論への停滞を解消した張本人であるジョーカンの文章として読むと、なかなかに唸らされてしまうのは確か!
思うにAKB48が新しいエンターテイメントの形を打ち出して成功できたのは、結局は秋豚がおにゃんこその他で築いた巨万の富による下支えがあったからだろう・・・
というのは、特定の産業を取り巻く環境がドラスティックに変化した場合でも、産業形態というのはそんなに簡単に変わるようなものではないからだ。
革新的な技術やプロセスが生まれても、それが市場に導入されるまでのイニシャルコストは通常莫大なので、日本みたいな国だと政府調達や税制優遇などの政策的介入が行われる必要がある(わかりやすいところだとエコカー減税、エコポイント等)。もちろんこういう施策がとられるのは、その分野で国際競争力を高めたいというモチベーションが政府側にある場合のみだ。
AKB48の場合も、初期の地下アイドル時代から、コンセプトが徐々に浸透し、人気が爆発するまでには長い年月と莫大な財政的コストがかかっている。
それを担ったのはひとえに秋豚の甲斐性と冒険心だろう。
確かにAKB48は革新的なモデルだが、逆に考えれば、秋豚並みにリスクマネーを投下できる資産家がもっといれば、日本にはイノベーションのチャンスがもっと生まれるんじゃないだろうか。
米国のベンチャーキャピタル文化と比べてもしゃーないけど、やっぱり圧倒的に日本のマーケットにはリスクマネーが足りないのだよなぁ。。
というようなことを思った。
ジョーカンは、これからは日本独特のアングラなカルチャーを海外も含めた「表」にガンガンだしていこう!コミケとかニコ生みたいなインフラごと輸出しちゃおうぜ!というようなことを(暗に)言っていますが、ビジョンと金とヲタク心を兼ね備えた秋豚みたいな人材は希有だし、なかなかキビシいよなと思うのも事実である。
全体として、新書ということでとても読みやすいし、批評とか普段読まん人にもオヌヌメだ(といっても、宇野さんの文章は他の本でもとても読みやすい)。
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